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2011年2月

2011年2月23日 (水)

神様の名前

あなたが信じている神様に名前をつけるなら、
それは“イエス・キリスト”です。

私の信じている神様はイエス様だったのか…



ヘンな夢、
夢を見ている、これは夢だ、早くさめなくてはいけない、
目を開けさえすればいいのだ、
そう思うんですけど、夢の中で目を開けているだけなんですよね

神様、助けて下さい!
必死で祈ったけれど何も変わりませんでした。

イエス様、助けて下さい…

その途端、静寂に包まれました。
私は夢から醒めたのだと知りました。

神様を呼ぶ時には神様の名前を呼ばなくてはならない、
と思いました。

あの頃、私はイエス様をきちんと知らずにいました。
今は知っています。
だから、神様!と呼べば、
イエス様はそれが御自身のことだと分かって下さいます。

あの頃私は本物の神様の名前を知らなかったのだと思います。

2011年2月 3日 (木)

祈り

2011年2月2日の祈祷会、
聖研は
祈りについて。
ヤコブの手紙

『祈る』と、『願う』とは違います。

神様の御心に叶う祈りをしましょう。

祈りがきかれた時、
かなった、と私たちは言わないでしょううか。
まさに、神の御心に『かなった』。

祈りの動機を神様は見ていらっしゃる。

祈りがきかれない時、
きかれないことによって
神様はその祈りに応えていらっしゃる。

何故きかれなかったのだろうか?
その時、自分の祈りの本質が問われていることに気付きます。


M兄が
「こうして下さい、ああして下さい
と祈るのは間違っている。
神様は御用聞きではない」

私もそう思っていました。
神様に命令してしまっているのではないか…
と思っていました。
だから慎重に言葉を選んで祈るようにしました。

だけど言葉を選ぶだけではダメで、
そこに祈りの動機が問われるのです。
そんなことはわかっていたはずなのに
改めて気付かされました。

わたしからこの杯をさらせて下さい、
けれど神様のお心で、
と祈られたイエス様のように。

神様にはなれなくとも
神様の視点で物事をみることはできる、
と教えられました。

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