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2012年2月 1日 (水)

デボーションメール20120201

■使徒8:14さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。8:15ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。8:16彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。8:17ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。

★聖霊を受ける。聖霊が下る。との表現に目を留めましょう。聖書は私たちがあずかるべきバプテスマとして、水のバプテスマと聖霊のバプテスマがあることを教えています。水のバプテスマは罪の赦しと、神の子としての立場を揺るぎないものとしますが、聖霊のバプテスマは人に大胆さとキリストを証しするための力を与え与え、その人に与えられた主からの賜物が何かを明らかにします。主はまたルカ11章で譬えを通し、一番よいものとしての聖霊を語られました。聖霊に満たされることにうえ渇きましょう。

私は水のバプテスマを授かりました。これは確かなことです。

けれど、精霊のバプテスマを受けられていません。
キリストを証しする、大胆に主を語ることができません。

いわゆる“隠れキリシタン”のままです。

 

■使徒9:17そこでアナニヤは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」9:18するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、9:19食事をして元気づいた。

★大いなるもの「サウロ」が、いと小さきもの「パウロ」に変えられた場面です。この直前、彼は天からの光と共に「サウロ、サウロ」と語られる御声によって地に打たれますが、上の「兄弟サウロ」というアナニヤの言葉によって砕かれ赦され主を受けいれまれました。神様がなされることと人のなすべきことは違います。どんな時にも赦しと愛を注ぐことそれが人のなすことです。ヒデ

どんなときにも赦しと愛を注ぎなさい、と主はおっしゃっています。

しかし、どうしても赦すことができず、愛を注ぐ、とは程遠い思いを抱えて私は毎日を生きています。

歩mm党はこの私こそが一番赦していただかなければならない存在なのに、

えらそうに他人を裁いています。

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