« デボーションメール20120210 | トップページ | 命の言葉をもれなく人々に語る »

2012年2月11日 (土)

デボーションメール20120211

■ヨブ19:25私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。19:26私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。19:27この方を私は自分自身で見る。

★「私を贖う方」これはヨブ記の中で最も重要な聖句です。この言葉は元来、親族中の助力者を表す言葉ですが、ここでは天的救済者を指して用いられています。災いを与えた神様のみが自分を回復し得るお方としてヨブは告白しているのです。ヨブの場合はそうではありませんが、たとえあなたに罪があり、その結果あなたに災いが与えられたとしても、神様はそれで終わらせないお方です。あなたはこれを信じますか。

信じます。


■マルコ1:16ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。1:17イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」

★主は祝福の基とするために人を召し出されるお方です。かつてはアブラハムを「父のもとをはなれ私が示す地に行きなさい。あなたを祝福の基とする」と、そしてここではペテロで「わたしについて来なさい。」と、今度イエス様はあなたを召し出そうとしておられるのではないですか。不思議です。従うなら神様はあなたを創って下さるお方です。



そういえばどなたかがアブラハムとアブラムはえらい違いだと言っていらっしゃいました。
人間をとる漁師とはどういう意味でしょうか?

なんとなくわかるのですが、それを説明できません。




■マルコ2:27また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。

★主はあなたを縛るために召し出されるお方ではありません。解き放つため、建て上げるためです。キリストと共に人々に祝福をもたらす人とする、それが主のあなたに対する計画です。ヒデ

安息日は人間のため、人間のため・・・
人間は安息日のため、いや、違います。
私が安息日のために存在するとしたら、それはやっぱりおかしいです。
もう一度、聖書を開いてみます。

« デボーションメール20120210 | トップページ | 命の言葉をもれなく人々に語る »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1429720/44788217

この記事へのトラックバック一覧です: デボーションメール20120211:

« デボーションメール20120210 | トップページ | 命の言葉をもれなく人々に語る »

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ