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2012年2月25日 (土)

デボーションメール20120225

■詩篇122:1人々が私に、「さあ、主の家に行こう」と言ったとき、私は喜んだ。122:2エルサレムよ。私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。

★立つべき人が立つべき所に立つことはその人のみならず多くの人々の祝福となります。この詩篇の記者は自らそれを喜び、その実現のために行動しました。あなたはどうですか。

立つべき人が立つべき所に立つ。
私自身が立つべき所に立つべき人なのかそれがわかりません。
望まない転勤で異動してきた人がいました。
常に不安と不満が心に渦巻いていたようです。
ことば少ない人でしたが、何かの折りに口をついて出ました。
少なくとも私は来たくて来たんじゃない、
ミスも少なく仕事は善くしてくれましたが、
私や周囲は気遣いで疲れ果てました。

なぜこんな人事をしたのか、管理課のバカ者ども、
と心の中でつぶやきました。

そのたび、私はいけないいけないと思いなおし、

努めて明るく振る舞い、感情を押し殺しました。
誰よりその人自身が一番つらい、

穴があいたところに同じ体積の土を持ってきても埋まり切らない、
より多くの土が必要だ、と言うではないか。
その人は来るべくしてここに来た、それは神様の御考えだ、
そう思い続けて祈りました。
ただ・・・、私はそれでよかったのかもしれないけれど、
他のスタッフに我慢を強いてしまったのは事実です。



■1コリント9:21律法を持たない人々に対しては、─私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが─律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。9:22弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。

★偉大な指導者パウロの告白です。彼の足は地に着き、自己満足の虚栄に走るものではありませんでした。常に大切にしたのは目の前の一人、祈りは幾人かでした。沢山の人のためにではなく、あなたは一人の人のために何ができるでしょうか。

祈祷会では、自分以外の人のために祈ることをします。
自分のこともいい加減なのに、他の人のために祈ることが、

おこがましかった私でした。
けれど、神様が喜んで下さるのです。
こんなに未熟者の私が他の人のために祈るなんて
(ちょっとエラそうではないか)
ですがわたしは自分が考え違いをしていたことをはっきり知りました。
実はうまく説明できませんが、
自分以外の人のことを思いやることができるように、
そのことに資格はいらない、
との神様の御心を感じています。



■1コリント10:12ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。10:13あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

★自分は大丈夫とのおごりがお互いの心に潜んでいるとき、人は大きな失敗をしてしまうことがあります。しかしそれさえもご自身の憐れみの中で益に変え、ご自身の栄光に変えて下さるお方。それが主です。仰ぎましょう。救いはいつもこのお方の中にあります。ヒデ

実は、自分は大丈夫、と思っている私。
だって私には神様がついて下さっていますから。
私が疲れたら神様は私を背負って歩いて下さいますから。
って、いつも背負っていただいているような気がします・・・

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