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2012年3月 1日 (木)

デボーションメール20120301

■2コリント4:6「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。4:7私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

★この章でパウロは「明らかにされるため」との言葉を繰り返します。「いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。」「私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです」の通りです。なぜでしょう。イエス様のいのちの豊かさを体験し、知って欲しいからです。神様の恵みに励まされ、信仰によってわがままな自己を十字架に付ける、これが勝利の霊的法則です。

キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするため、
神のかたちである栄光の福音の輝き、
わがままな自己を十字架につける、
真摯に受け止めたいと思います。



■2コリント5:14というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。5:15また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

★人はどれ程に解放された生涯を歩みたいと心に願うことでしょう。でも現実は多くの人が縛られた生涯を過ごすのです。何にそんなに縛られるのでしょう。自分です。そしてこの罠に捕らわれると人は、喜びを失い、感謝を奪われ、その心は不満で支配されるようになり、見えていた希望もいつしか消え去り、ついに健康さえ害し、ひとりぼっちになるのです。それを唯一打ち砕くのが前章の「イエスのいのち」です。どうかわがままな自己を十字架につけた私の心に、イエス様のいのちが満ちあふれますように。ヒデ

人は、誰でもなく、自分自身によって縛られています。

何かをする自由を主張しながら、
実は自己の欲望に囚われているに過ぎない、
それに気付かない人はあまりに多く、
気づいてもどうにもできない私のような人間もいます。
何かをしたい、という気持ちはとても大切なもので、

そういう心も神様が備えて下さったもの、

正しく用いたい。

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