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2012年3月15日 (木)

デボーションメール20120315

■ローマ3:23すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。3:25神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。3:26それは、……イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

★信仰義認とは何かが記された箇所です。私たちの側の努力によってではなく、神様が備えて下さった救いを受け入れることによって罪なき者と認められる。言葉をかえるなら罪は私たちの存在自体にまで深く入り込んでいるので、良き行いをもって神様に受け入れられることはできない。いえ、良き行いをすることができないと言うことです。だから主を信じ仰いで生きるのです。

私が頑張るのではなく、ただイエス様の購いによってのみゆるされる。
深く考えないでただそう信じていました。
そこには罪が私の存在そのものに潜んでいるからだと
改めて教えられました。



■ローマ4:20彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、4:21神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。4:22だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。

★信仰の父と呼ばれたアブラハムが神様に義と認められた理由についての紹介です。彼は自分の足らなさ汚れを知らなかったわけではありません。むしろ「いや」と言うほど見せつけられました。しかし彼は「神様はこんな私をも造りかえて下さることのできるお方である」と信じ、自分を神様の前に投げ出したのです。それがよしと認められ、その通りの存在へと神様の恵みによって変えられていったのです。信仰には力があります。信じましょう。ヒデ

信仰には力があります。
本当にそうだと思うことがあります。
アブラハムの場合と少し違うけれど
死を目前にした患者さん。
迫りくる死に対し信仰を持っている人は強い、
と看護師長が言ったことがありました。
死を目前にしたクリスチャンが平静でいられるのは、
神の国と義を求めつづけた結果だと思います。



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