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2012年3月16日 (金)

デボーションメール20120316

■ローマ5:20律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。5:21それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。

★こう告白するパウロはまた「いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」と告白します。まだ私たちが神様から離れている罪人であった時、いのちを捨てて下さったキリストの愛を覚えましょう。

律法と罪の一見矛盾しているとも思える関係ですが、
パウロはそれをわかりやすく言ってくれました。
スポーツ選手だって強くなるために自分の体をいじめるではありませんか。
え、そんな単純なものじゃない?



■ローマ6:23罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

★5章と同じ事が語られています。この永遠の滅び、すなわち死から救い出すためにキリストはあなたのためにご自身のいのちを十字架の上にささげて下さいました。

「いくらバナナを好きだからって、食べすぎれば病気になる。」
確かにそうです。
昔読んだ小説の中にこういった意味の言葉が語られていました。
けれどこれはなんでもほどほどにしておきなさい、
ということを言おうとしているのではありませんでした。
罪から来る報酬は死である、
この御言葉に触れるといつもこのバナナのたとえ話を思い出します。
私たちを永遠の滅びから救い出して下さったイエス様のことを、
時々心の片隅に追いやってしまっている私はなんという悪いやつだ



■ローマ8:38私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、8:39高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

★キリストの愛に捕らえらたパウロの告白です。その時人は恐れから解き放たれます。自由が与えられます。強くなります。キリストの愛に心を開きましょう。神様は愛する者と共に働いてすべてのことが益となるようにして下さいます。ヒデ

私がどんなに罪深い人間でも、どんなに堕ちていっても、
その下にはキリストの手がある。どこまで堕ちようとも救い手がある…、と
神様、あなたはそのようにおっしゃいました。
私が今ここでこうしていられるのもすべてあなたの御恵なんですね。
こんな価値のない者をあなたは尊んでくださるのでしょうか。
キリストの愛を感じます。

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