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2012年3月23日 (金)

デボーションメール20120323

■1テモテ1:15「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。1:16しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。

★人が栄光から栄光へときよめられるのは人の努力によるのではありません。主の愛への感謝があなたをきよくするのです。もし「あなたは罪人ですね」と言われたら、何と応えるでしょう。願わくはあなたの答えが「はい、そのとおりです。」でありますように。

自分でつい頑張っちゃうのよね、とO姉。
それに比べると私は全然頑張りません。
神様まかせ、です。
そう申しますといかにも私が正しいかのようですが、
実は違います。
頑張らなさすぎるのです。
“人事を尽くして天命を待つ”
という言葉もあるでしょ?
怪我して死にかかっている人を放っておいてただ神様に祈りますか?
できるだけの手当てを施して神様に祈るでしょ?
牧師先生がそのようにおっしゃった時に、
私は手当てもせず、どうしようとおろおろしながら神様!
と叫んでいる口だな、と思いました。
罪人である私が清められるのは私の頑張りではなく、
清めて下さる神様がいらっしゃるゆえです。



■1テモテ2:1そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。

★人が罪人であるあらわれの結果として、一番そのことがよく現れるのはどこでしょう。権威者との関係です。罪人は自らを権威者としたがります。自分を一番上の権威としたいからです。あなたの霊は既に癒されているでしょうか。私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすために、この取り扱いは必須です。

罪人は自らを権威者としたがるのか…
自らを権威者としたがるのは確かに罪の現れだと思える。
私は平安で静かな一生をのぞむ、
劇的な人生は要らない、
そんなのは疲れるだけだし、
他人ともめるのもいやだ。
それは確かにそうなんですが…、
ちょっと違うぞ、と言われてる気がする。



1テモテ3:6また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。3:7また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。

★教会外の人に評判がよい。これはあなたにとって大切なことです。あなたは世に遣わされていますか。そこで遜って人を祝福しているでしょうか。サタンからの高慢の誘惑を砕きましょう。ヒデ

信者になったばかりの人、うわー、私。
高慢になっていないですか?
心の中では、
私はクリスチャンだ、
救われているんだ、
とちょっと優越感にひたっていませんか、私?
こういう言葉は使いたくありませんが、
あえていうなら私たちは勝ち組です。
イエス様によって救われた勝ち組といえるのです、
そうおっしゃった先生がいらっしゃいましたが、
本当の意味で人生の勝ち組になりたいのなら、
キリストの十字架の救いを受け容れるしかありません。

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