« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月

2012年3月31日 (土)

デボーションメール20120331

■1ペテロ1:20キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。1:21あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。

★神様がキリストを通して私たちにお与えくださった救いは、私たちの何かに依存することのない完全な救いであることを感謝しましょう。自分の不足や汚れを見て失望落胆する必要がないのです。ただ上を見上げましょう。仰ぐときあなたはキリストによって生かされます。

自分の不足や汚ればかりをみているわけではないけれど、
自分に落胆することは多い。
少しくらい自分にもいいところはある、と思いたい私。
誰によく思われなくても、自分にはよく思われたい私。
で、自分の大切な人々にも喜んでもらいたい私。
神様がなんとかしてくださるだろう、そう思う私。



■1ペテロ3:8最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。3:9悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
★祝福を受け継ぐために尊ぶべきことは、愛にあってつながり合う関係に生きることです。神様を愛し隣人を愛せよと語られたイエス・キリストの言葉を生活の中で証しできますように。ヒデ

悪をもって悪に報いること、
悪はレベルが低いことだ、自分を低レベルに落としめてはならない。
などと思う。
しかし、侮辱は悔しいなあ。
自分が侮辱された時、
いわれのないことなら、フンと鼻で笑えるけど、
それも相手を侮辱している。
で、ふと当たっているかもしれないと思うとき、
実に情けなくなる。

でも、神様が私を尊んでくださっているとしたら、
誰に侮辱されても気にせずにいられるような気がする。
気になっても、平然としていようと思う。

2012年3月30日 (金)

デボーションメール20120330

■ヤコブ1:2私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。1:3信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。1:4その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

★試練はないに越したことはありません。しかし試練を通して出なければ造り上げられない人格があることも事実です。神様があなたに与えようと意図したその人格をあなたが試練の中で受け取る為に必要なものは絶えず祈り常に喜びすべてのことに感謝することです。これ以外にあなたを試練の中でもいぶし銀のようにして輝かせるものは他にないのです。あなたは主の誇りの存在です。

若い頃は試錬が避けられるようにと祈りました。
いつのまにか、その試錬に耐え得る力をほしい、と願うようになりました。
主は私の背負えない荷を負わせることはけしてなさらない、と信じています。
無理?と思っても主を仰ぎみる時、イエス様の名を呼ぶ時、
力が与えられてきました。



■ヤコブ4:7ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。4:8神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。

★もとは知恵の天使長であった悪魔と会話する必要はありません。あなたの知恵よりもサタンは勝る知恵を持ち、あなたを罪に導くことはそう難しい事ではないからです。そう「そんなことはないのでは……」と思うそのあなたの心をすでに利用して、悪魔はあなたを誘惑し陥れ滅ぼそうとすのです。ですから会話は禁物です。しかし恐れる必要はありません。自分が罪の中から贖い出された者であることを認めて、正々堂々背を向けることなく生きるのです。既にサタンの頭はキリストの十字架によって打ち砕かれました。ただ十字架のみを誇り、十字架を見上げましょう。サタンはあなたから逃げ去ります。ヒデ

自分の力でサタンに立ち向かってはいけない、
神様がサタンを打ち砕いて下さる。
私はキリストによって購いだされた者、
これ以上イエス様を苦しめないようにしたいです。
私が神様から離れさえしなければいい、
悩みの日にわたしを呼べ、と主がおっしゃって下さいましたから。


2012年3月29日 (木)

デボーションメール20120329

■ヘブル13:5金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」……13:8イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

★友達とお金の使い方をみればその人が分かると言われます。あなたは世を愛するそれでしょうか。イエス・キリストを愛するそれでしょうか。はっきりしていることは世はあなたとあなたの持てるものを利用しようとしますが、イエス・キリストはあなたの内にある神のかたちを見、それを喜び、輝くようにと寄り添い励まして下さるお方です。キリストのみがあなたのためにいのちをささげ、この視点からぶれないお方です。なぜなら主はあなたを愛しておられるからです。

いま持っているもので満足しなさい。
お金は確かに大切なものです。
粗末にしてはいけないけれど、
使うものであって、使われるものではないということ。
主は私を愛して下さり、決して見捨てない御方です。



■ユダ1:20しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、1:21神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。

★あなたの中に与えられ、あなたのうちにある最も聖い信仰です。その信仰を土台として生涯を建て上げるのです。もちろんキリストが土台です。いえキリストの言葉を聞いて行う従順が土台です。なぜなら多くの人はキリストの言葉を聞きつつも、ただ聞くだけで聞き流し、砂の上に家を建てようとする愚かさの中に歩んでいるのですから。自分で自分を保とうとしても困難です。世の力はそれ以上に力があるからです。だから自分の力ではなく、キリストの恵みによって自分自身を保って頂くのです。自らに望みを置くものではなく、神様に望みを置く者でありましょう。パウロはこのお方のことを「1:24あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方」と語りました。ヒデ

キリストの言葉を聴いて行う従順、
神様に望みを置く者であれ。

おまかせすれば楽なのに…。


2012年3月28日 (水)

デボーションメール20120328

■ヘブル10:36あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。10:37「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。10:38わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」10:39私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

★この所から不必要な恐れ、過度な恐れを抱かせようとする背後にはサタンの力が潜んでいることを覚えましょう。もちろん命が危険にさらされるとき本能として恐れを抱くのは当然です。しかし神様の愛、聖霊様の御力の中心は、信じる者の心から不信仰を取り除き、キリストの愛と真実の中に人を立たせることです。とこしえにいます神様はあなたの住みかであり、下には永遠の腕があることを覚えましょう。

恐れることにより危険を避けようとするのは神様の護りゆえ。
不必要な恐れ、過度の恐れの背後にはサタンの力が働いているということ!
そうだったのか・・・。
うん、そういえば、私がどんなに落ちていってもその下にはイエス様の腕があって、
しっかり抱きとめて下さるんだと言われたじゃないか、
まさに、それこそ“救いの手”で、
それがないと永遠の滅びに落ちていってしまうということだ。



■ヘブル11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

★かつての聖徒たちがどれ程に信仰によって神様の祝福を受け取ってきたか。そのことが「信仰によって」と繰り返され紹介されるこの11章です。あなたはまだそのことが、目に見えない時点で実現されると、信仰によって信じて受け取り、その通りになった経験をお持ちですか。信仰とは生活また体験で、決して知的領域にとどまるものではありません。ゆえに世々の聖徒はいのちをかけて信仰を守り通し神様の不思議をみたのです。信仰がなければ神様に喜ばれることはできません。ヒデ

信仰を守る、
簡潔なことばですが、
これほど重い言葉もない。
信仰って信じて仰ぐ、と書くんですよね。
神様を信じて、御顔を仰ぎ、細き御声の聞こえるところで
生活しましょう、私。


2012年3月27日 (火)

デボーションメール20120327

■ヘブル6:10神は正しい方であって、あなたがたの行いを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。6:11そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。

★よき行いをもって聖徒たちに仕えた人々が受ける報いについてマタイ25:40の「すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」は有名です。教会(キリストの名によって召し出された人々)はキリストの身体であって、そこに主のおん目は注がれます。主はあなたの愛と労苦と忍耐とを知っておられます。

わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、
すなわちわたしにしたのである。

教会はキリストのからだであって神に召された聖徒の集まりです。

私に愛はあるか?
私は労苦しているか?
私は忍耐をもっているか?
忍耐といえば
「周りから苦しみに見えることでも、喜んで受け止め苦しみを苦しみと感じない」
それこそが真実の意味ではないかという文献をみた。
すると忍耐は楽しいものになるというのだ。
それこそ、神が与え給うた祝福ということか?
神様が私をさらに力を与えて下さるということか?



■ヘブル8:10それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。8:11また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。

★キリストを信じる者の内に聖霊様を注がれる。これは父なる神様が定められた恵みです。これによってあなたは主を直接知るようになったのです。御言葉を通してあなたの心に直接語りかけて下さる主の御声に従順しましょう。主はあなたの生涯に不思議をなして下さいます。ヒデ

かつて主がエジプトから民を導き出された時は
手で幕屋がつくられやぎや子牛の血によってあがないが成就したわけです。
「今はなぜ、いけにえを捧げないんですか?」
「それはね、イエス様が来られたからです。
イエス様が御自身の血によって永遠のあがないを全うされたからですよ。」
神様と我々との間を媒介する者としてその一人子イエス様を送ることにより、
神様は新しい契約を結ばれました。
今、私は、動物の血ではなくイエス・キリストの血により
罪ゆるされました。
アァメン!


2012年3月26日 (月)

デボーションメール20120326

■ヘブル3:6しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。

★あなたは神の家です。私も神の家です。私たちは神の家です。なぜならキリストがあなたとわたし、また私たちの間に住まわれるからです。そのことを黙示録2:1では「教会の間を歩く方」と紹介しますが、目的は忠実に神の家を治めるためです。キリストは愛と真実をもってあなたに関わって下さるお方。この朝「イエス様、私の内にいて下さり感謝します。これからもあなたが願っていて下さる私へと導いて下さい」とお祈りしませんか。

キリストが私たちの間に住まわれるということを教えていただきました。
キリストが忠実に私を治めるために
愛と真実をもってわたしに関わって下さっているということ。
キリストに一夜の宿を貸すのではなく
永遠に私の内に住んでいただけるようにしたい。
そして、キリストが願っていて下さる私になりmすように。



■ヘブル4:15私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。4:16ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

★愛と真実をもって関わって下さる主。さらにその中にあっても特筆すべき主のご性質は憐れみ深さ、同情です。主は決してあなたの弱さを、あなたを支配するため、コントロールするため、あなたを辱めるために利用することはなさいません。むしろあなたに寄り添い、励まし、どうすればあなたがその弱さを抱えつつも、あなたがあなたらしい人生を歩めるようになるかと、関わって下さるお方です。このお方の愛に心を開くのです。その時あなたの人生は主の香りを放つ麗しい主の作品として輝くのです。ヒデ

私たちは主の作品だ、
誰かがそうおっしゃっていたように思います。
自分が製作する時、
少しでもよいものを創りたい、
誰でもそう思うではありませんか。
思いをこめ、精魂傾けて絵なら絵を描くでしょう?
私は若い頃、絵を描くのが好きでした。
一生懸命描くのですが、
どうしても好きになれない作品があります。
いくら描いても納得がいかず
思ったように仕上がってくれないのです。

思い切って塗りつぶして描き直すことがありました。
主は御自身が願われる作品になるまで、

修復を試みて下さると思っていいのでしょうか?


2012年3月25日 (日)

デボーションメール20120325

■2テモテ2:11次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。2:12もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。2:13私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」

★人は移り変わりやすいものです。しかし神様のご性質が不変ということは救いが保証されていると言う意味です。このお方はご自身の真実を曲げて不真実になられることはありません。おそれないで、キリストと共に古き自我に死ぬものでなければ経験できない、霊的復活の恵みに与り、感謝の生涯を全うさせて頂きましょう。

人は移り変わりやすい、
私も自分自身の人生経験からそう思う。
絶対に変わらない、などということがなぜ言える?
女心と秋の空、
と移ろう女心をお天気の変わりやすい秋の空に例えますが、
移ろいやすいのは女心だけではないでしょう。
人は変わるもの、と初めから思っていた方がいいと思います。
信じた私がバカだった~、と歌の文句にありそうですが、
信じるな、とは言いません、それではあまりに寂しいから。
でも移ろうことはある、と。そうなったときに自分がそれをどう受け止めるか?
ということです。
ま、人を信じるには覚悟を必要とするかも。
その点、神様は変わりません
安心して信じることができるものを信じなくてどうする、私?



■2テモテ3:2そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、3:3情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、3:4裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、3:5見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

★あなたの周りにいるほとんどの人はあなたが愛すべき人です。しかし唯一避けるべき人とは上に記された人々です。あなた自身がそうした人となりませんように。世の終わりの近いことを覚えつつ聖い交わりの中に歩みましょう。ヒデ

私は、
自分を少しは愛しているし、
お金をたいせつだと思うし、
気が小さいので大言をはくことはまずないけれど、

時には不遜となり、
そうしようと思わなくても神様をけがしているかもしれない、
両親(今は片親ですが)に従わなかったことが一度もないわけではないし、

世の全てのものに感謝を捧げているつもりでも忘れていることがあるし、
汚れた者ってみんなそうじゃないのかな、なんて思うし、
情け知らずになっているかもしれないし、
和解できていない大昔のこともあるし、
うっかりそしってしまうことはあるし、
節制はしているつもりだけどつもりだけだし、
粗暴なのは私も大嫌いだけど、
善を好み足りないんじゃないかと思う時があるし。
心ならずも裏切ってしまったということはあるし、
やっぱり小心者ゆえに向う見ずにはなれないけれど、
慢心には悩まされているし、
神様より快楽を選択することは多々あるし…、

今せっかくの機会なので自分をふりかえってみました。
私って充分に避けられてしまう人です。
これは謙遜でもなんでもなく
最悪なのは私がそう見えなくてそれに調子よくのっかっている事実。

続きを読む "デボーションメール20120325" »

2012年3月24日 (土)

デボーションメール20120324

■テトス1:15きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。

★あなたが何を信じるかによって、あなたはきよくもなれ、汚れの生涯を生きることにもなります。外の顔かたちではない、心を見られる神様の前に、愛を動機として歩みましょう。

そういえばそのひとを知りたければその友達をみろ、
と言われます。
それならば私は、イエス様を友として歩みたい。



■テトス2:14キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。

★まったくそのとおりです。アーメンと唱え、父なる神様に栄光をお返ししましょう。

人が栄光から栄光へときよめられるのは人の努力によるのではありません。主の愛への感謝があなたをきよくするのです。もし「あなたは罪人ですね」と言われたら、何と応えるでしょう。願わくはあなたの答えが「はい、そのとおりです。」でありますように。

再臨の日に責められるべきものがないようにしたいと思うのに、
私は罪だらけ。
しかし責められるべきがないようにしたいと思っても
それは私が努力してもだめなのです。
栄光の清めを受けることが
神様に栄光を捧げ、お返しすることになるのでしょうか?



■テトス3:5神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。3:6神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。

★天のお父様は誰も誇るものがないようにと、イエス・キリストのあがないと聖霊の御力を信じ受け入れるものをよしとして下さいます。そして今も聖霊を注ぎ続けて下さっています。あなたは聖霊なる神様を信じていますか。認めていますか。心を開いて、その支配を歓迎していますか。生けるお方を、生けるお方とすることが祝福の生涯の秘訣です。ヒデ

誇るべきは主であります。
主にあれば安心を得られます。
いつの頃からか、
今が平和であっても明日がそうであるという保証はない、

と思うようになり、そんなことばかり考えるようになりました。
世の中はどんどん気温が上昇している。
それでなくても暑がりの私はどうなるんだ?
かと言ってエアコンの効いた部屋の中にばかりいたくない、
そんなことになったら…私は生きられないじゃないか、
そんなことを思うようになりました。
近年あまりに仕事に追われ続けたので、
頭の中には仕事のことしかなくなってしまいました。
今、少し時間ができたのですが、
不思議と以前ほど思わなくなりました。
主による支配なのでしょうか?
主は生きていらっしゃる、
この世で本当にたいせつなことは目にみえない、
キツネのセリフを思い出します。
むしろ、目に見えないことの大切さに私は気づかなければならない。



2012年3月23日 (金)

デボーションメール20120323

■1テモテ1:15「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。1:16しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。

★人が栄光から栄光へときよめられるのは人の努力によるのではありません。主の愛への感謝があなたをきよくするのです。もし「あなたは罪人ですね」と言われたら、何と応えるでしょう。願わくはあなたの答えが「はい、そのとおりです。」でありますように。

自分でつい頑張っちゃうのよね、とO姉。
それに比べると私は全然頑張りません。
神様まかせ、です。
そう申しますといかにも私が正しいかのようですが、
実は違います。
頑張らなさすぎるのです。
“人事を尽くして天命を待つ”
という言葉もあるでしょ?
怪我して死にかかっている人を放っておいてただ神様に祈りますか?
できるだけの手当てを施して神様に祈るでしょ?
牧師先生がそのようにおっしゃった時に、
私は手当てもせず、どうしようとおろおろしながら神様!
と叫んでいる口だな、と思いました。
罪人である私が清められるのは私の頑張りではなく、
清めて下さる神様がいらっしゃるゆえです。



■1テモテ2:1そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。

★人が罪人であるあらわれの結果として、一番そのことがよく現れるのはどこでしょう。権威者との関係です。罪人は自らを権威者としたがります。自分を一番上の権威としたいからです。あなたの霊は既に癒されているでしょうか。私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすために、この取り扱いは必須です。

罪人は自らを権威者としたがるのか…
自らを権威者としたがるのは確かに罪の現れだと思える。
私は平安で静かな一生をのぞむ、
劇的な人生は要らない、
そんなのは疲れるだけだし、
他人ともめるのもいやだ。
それは確かにそうなんですが…、
ちょっと違うぞ、と言われてる気がする。



1テモテ3:6また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。3:7また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。

★教会外の人に評判がよい。これはあなたにとって大切なことです。あなたは世に遣わされていますか。そこで遜って人を祝福しているでしょうか。サタンからの高慢の誘惑を砕きましょう。ヒデ

信者になったばかりの人、うわー、私。
高慢になっていないですか?
心の中では、
私はクリスチャンだ、
救われているんだ、
とちょっと優越感にひたっていませんか、私?
こういう言葉は使いたくありませんが、
あえていうなら私たちは勝ち組です。
イエス様によって救われた勝ち組といえるのです、
そうおっしゃった先生がいらっしゃいましたが、
本当の意味で人生の勝ち組になりたいのなら、
キリストの十字架の救いを受け容れるしかありません。

デボーションメール20120322

■コロサイ1:13神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。1:14この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。

★かつてはサタンの支配、この世の力に縛られ支配されたていたお互いです。しかしイエス・キリストを信じる信仰と神様の恵みによって、御子イエス様の支配の中へと移されました。これはまさに天国行きの魔法のじゅうたんで、このまま天国へと進みます。この魔法のじゅうたんの別名は教会。そしてそのじゅうたんの色は赤、すなわちイエス・キリスト様の血潮です。この血潮により、あなたは日々洗いきよめられ、霊のいのちに満たして頂き、兄弟姉妹との交わりを通して、栄光から栄光へと変えられて行きます。

天国行きのじゅうたんの房のしっぽに、
必死で手を伸ばしてつかまろうとしている。
それが私。



■コロサイ3:15キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。3:16キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

★イエス様の支配の中に移された神の子供が尊ぶようにと示されている価値観です。それは一言で「互いに」です。一方通行ではありません。人を自分よりすぐれた人として敬い、階級ではないフラットな人間関係から生まれる双方向です。そこには少しの横柄さもおごりもありません。あなたは既にキリストの内に神様を見ていると思います。では兄弟姉妹の内にはどうですか。マザーテレサは、死に行く人々の内にもキリストを見ました。受肉をとおして最大に証しされたキリストのご性質は謙遜です。孤高ではない感謝と柔和、謙遜に生きましょう。ヒデ

みんなすごいです。
私などの考えの及ばない深い信仰に根ざした生活を送っていらっしゃいます。
私なんかまだまだです。
でも、なんかスタート地点からわずかに踏み出せたつもりではいます。
確かに信仰生活の長い方々から学ぶことは多い、
でも、
私よりさらに後に受洗なさった方からも教えられることが本当にたくさんあります。
皆さんの御蔭です。
神様がそういう方々を私の周囲に配して下さったからです。

2012年3月21日 (水)

デボーションメール20120321

■ピリピ2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、2:7ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、2:8自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。2:9それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

★「そんなこと私にはできない」あるいは「なぜ私がそんなことまでしなければならないの」との考えで、あなたは神様があなたを高くあげようとする計画を留めていませんか。あなたの生涯は自分だけの満足に生きるものでしょうか。それとも神様の御心のためにささげられるそれでしょうか。

今の私は自分の満足を求めています。
今の私は、です。
けれど、真に自分の満足を求めようとするならば、
神様の御心のために捧げられる生涯でなくてはならないという気がします。
どこかで自分を値踏みして、ここまでにしておこう、
とか考えている私。
ちらちらと親の顔を盗み見しながら、
ねえ、おかあさん、ここまででいい?
などと甘える子供のようです。



■ピリピ3:20けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。3:21キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

★パウロがキリストの愛に応えて直向きに地上の生涯を走り続けれたのは、上の御言葉の真理に目が開かれたからです。いまあなたの頭の中心を締めているものとはなんでしょう。あなたは既にこの価値観を受け取り、そこに生きているでしょうか。

うーん、
キリストの価値観を受け取り、
そこに生きているとは言い難い私。



■ピリピ4:6何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

★あなたが心を注ぎ出すべきお方はこのお方、すなわちキリストです。平安の中に歩みましょう。ヒデ

神の平安は人の考えの及ぶところではありませんでした。
今また、心を探られました。


2012年3月20日 (火)

デボーションメール20120320

■エペソ5:8あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。5:9─光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです─5:10そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。5:11実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。……5:13けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。

★明るみに出すとは、自らの闇を主の前に口で告白すし、心の外からはき出すことです。その時、御子イエスの血はすべての罪からあなたをきよめ、聖なる者として生きることができるように、上より聖霊を注いで下さいます。その命はあなたが遣わされているところにおける関係を新たに築き直し、祝福します。

罪を告白する時、
罪をぼかしてはならない。
なかなか勇気を必要とするところです。
そんなことをしたところで、もうとうに主は私の罪を御存じです。
私は人間の法で裁かれない、
というだけのことだ。
往生際が悪い。
もしかして
クリスチャンの振りをしているだけではないのか?
それが一番いけない。
でもやっぱり主にすがりたい私。




■エペソ6:14では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、6:15足には平和の福音の備えをはきなさい。6:16これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。6:17救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

★キリストの者とされたあなたの戦いは血肉に対するものではなく、暗闇の支配者に支配されたこの世の主権、力、天のにいる悪霊に対するものです。その上で、上の御言葉はその戦いに私たちが背中を向けて勝ちおうせる方法が何もないことを教えています。あなたに託された人生から、あなたは逃げ出すことはできません。しかし避け所である主の中に隠れ込むことは可能です。いつもこのお方の中に隠れ込みましょう。そしてこのお方と共に霊的戦いを勝利しましょう。あなたは闇の力を足の下に踏みにじるためにキリストにあって召し出されました。ヒデ

わが魂を主の一夜の宿とするのではなく、
いつも主が宿って下さいますように。
主の言葉を受け取り、御霊の剣を振りかざせる者であらしめて下さい。
主は私の避け所です、悩みの日に私をよべ、とおっしゃいました、
そしてイエス様は同じくびきを負いましょう、と言って下さる。

2012年3月19日 (月)

デボーションメール20120319

■エペソ2:19こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。……2:22 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

★罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストが、ただ恵みによって救い出して下さった理由が上の御言葉です。私たちは神様の作品(単数形)で聖なる神様の住まい(教会)として召し出されました。あなたでなければあらわせないキリストの香りがあります。イエス様はあなたを必要とされています。

私はイエス様に必要とされている…、
私がイエス様を必要としているとばかり思っておりましたが、
イエス様を必要とする者を、
イエス様は必要とされているのでしょうか。



■エペソ3:17こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、3:18すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、3:19人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。

★主の願いはあなたが主ご自身を深くを知ることです。そのために主はあなたが教会としてつながりの中に生きることを願っています。

教会としてつながりの中に生きる…
今の私はとにかく礼拝を守り、牧会を守り…、
そればかりを考えています。



■エペソ4:30神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。4:31無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。4:32お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。

★教会として召し出されたあなたの生き方がここに。細き聖霊の語りかけを大切にするのです。ヒデ

私は基本的に人となかよくやりたい人、
他の人に対して嫌な感情を持つのがいやです。
だってその人の顔を見ると憂鬱になつじゃありませんか。
ま、誰でもそうですが。
また、他人の悪口は楽しい、
と言われますが、
では何故楽しいのでしょう?
あくまで私の考えですが、
人はそこに、
他人をおとしめることにより、
自分がいかにも正しくよい者であるかのような錯覚に陥るからだと思います。
そこに私は、人のもつ自分を高めたいという深層心理を見出だします。
だけど、人間はしょせん罪をもった存在で、
そんな人間どうしが自分を他と比較して優越感にひたろうとするなんて
神様の前に恥を知れ、です。
自分のライバルは昨日の自分だ、と子供には言ってきました。
昨日の自分に勝て、とまでは言えませんが、
昨日より少しはましになりたいと思わない?
と語りかけてみました。
それはとりもなおさず私自身への問いかけです。
子供から教えられることのなんと多いこと!
神様が私を赦して下さったのだから私も赦さなければならない、
しかし、どうやって赦そうか?
やはり私にも赦せない人がいます。
というか赦せない対象があるというか…、
生活に係わると思うと赦せなくなります。
いっそ、忘れていたい、と思います。
まあ、忘れておこう、
神様がなんとかして下さるだろう、
と思うとすっと楽になります。
なのに、しばしば私は嫌でも思いだ出さなければならない時があり、
むっちゃイライラします。

自分が一番赦しを乞わなければいけない存在である
それを忘れがちで、
いえ、忘れてはいないのですが、
人を赦せない、
そんな自分から逃げたくて忘れていたいと思います。
でも忘れてはいけないのです。
祈りたいと思います。

結論はそこ、
誰であろうと人は祈るしかできない存在だ、
というではありませんか。


2012年3月18日 (日)

デボーションメール20120318

■ローマ13:11あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。13:12 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。

★アウグスティヌスが回心へと導かれた御言葉です。今はどんな時代でしょう。恵みの時代です。しかしそれは無期限ではなく、神様の経綸の完成に向けて、終末と位置づけられる時代です。その特徴は終わりが近づけば近づく程に時代は暗く、互いの間だの愛は冷え、地さえ悲鳴をあげ、様々な自然災害が発生し、人々を襲う時代です。目を覚まして主をお迎えする用意が必要です。あなたは既にキリストに心を開きこのお方を心の中心に迎え入れられましたか。

様々な災害が世界各地で起きています。
地球がおかしくなっていると思います。
大地が怒っている、とか自然の報復だという人もいます。
この場合の大地、自然は神を指していると解釈しています。
ノンクリスチャンでさえ神の存在を信じている人もいます。
その神様が誰なのかなんという名前なのか、
早く正しい神様を覚えてくれないかなあ。
かくいう、私も
自分の信じているものがなんなのか、
その名前がなんなのか探り続け確かめ続けて
やっと知ることができました。
ああ、私の信じていたのはこれだった、みたいな…、
でもそれはゴールではなくスタートでした。
私は長いことかかってやっとスタート地点にたどりつきました。
新しい人生が始まっています。



■ローマ15:1私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。15:2私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。

★宣教者パウロのスピリットです。そしてこれはまた、主からパウロが受け取ったものです。神様の選びと恵みによって与えられた能力や賜物をどう受け止めるか。それによってその人が歩む人生が変わります。自分の努力によって勝ち取ったものか。あるいは恵みによって備えられたものか。あなたはどの様にとらえるでしょう。自らの功績を誇りますか。それとも神様に栄光をかえされるでしょうか。それによって喜びも一時的なものに終わるか、あるいは永遠に続く感謝へと変えられていくかも変わります。生かされている恵みを感謝し、自分を必要としてくれる人々とその人生を分かち合わせて頂きましょう。ヒデ

ひとは生きているのではなく生かされて生きるもの、
かつてイエス様が人の形をとって来られたこの世に
私が今、置かれている、
神様が私に何をのぞんでいらっしゃるか、
いつも考えながら歩んでいきます。
私だって神様に喜んでいただきたいんですよね。


2012年3月17日 (土)

デボーションメール20120317

■ローマ10:9なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10:10人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。10:11聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

★「口で告白して救われる」とは何という恵みでしょう。ただ初代教会の迫害の中にあっては、非常に重いことでした。村八分にされるかも知れない、そればかりか殉教をさえ覚悟する必要があるかも知れない。それでも彼らは、主こそ私の人生の主、罪からの救い主、私はこのお方を否むことができません、と証ししたのです。あなたはどんな決心でこのお方を告白したでしょう。人は計る計りではかりかえされることを覚えましょう。

しょせん人は自分の計りでしか物事を計れない、
と思っています。
安易に他のひとのことをとやかく言うな、
と私はこどもを戒めてきました。
その人のことを本当にわかってあげられることはなかなかできない、
と人生を通じて痛切に感じているからです。
それならいっそ、正直に自分の立場から見つめ直してほしい、
と思うからです。
人は思いあがりやすい生き物です。
しかし、ここでは
ひとは計る計りではかりかえされる、と言われています。
それは確かです。
大切なのはイエス様を主とみとめ信じて告白すること、
告白、告白、告白…。



■ローマ12:1そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。12:2この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

★「ならいっょう、一肌脱いで神様のために何かしてあげましょうか。」ではありません。ただ受け入れられているのは神様のあわれみなのです。あわれみとは受ける資格のないものが、赦されて祝福に与ることです。これが霊の世界の祝福の土台です。この上にのみ人は行いを積み上げ、父なる神様の報いをうけることができます。しいられて嫌々ではなく、喜んでこのスピリットの中を歩ませて頂きましょう。ヒデ

神様の一方的な愛、
それはけしておしつけではなく、
ただ信じて神様に赦されて祝福されていることを
受け容れるべきだと思っています。
何も抵抗なく、
素直に信じられるのはとてもうれしい。




2012年3月16日 (金)

デボーションメール20120316

■ローマ5:20律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。5:21それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。

★こう告白するパウロはまた「いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」と告白します。まだ私たちが神様から離れている罪人であった時、いのちを捨てて下さったキリストの愛を覚えましょう。

律法と罪の一見矛盾しているとも思える関係ですが、
パウロはそれをわかりやすく言ってくれました。
スポーツ選手だって強くなるために自分の体をいじめるではありませんか。
え、そんな単純なものじゃない?



■ローマ6:23罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

★5章と同じ事が語られています。この永遠の滅び、すなわち死から救い出すためにキリストはあなたのためにご自身のいのちを十字架の上にささげて下さいました。

「いくらバナナを好きだからって、食べすぎれば病気になる。」
確かにそうです。
昔読んだ小説の中にこういった意味の言葉が語られていました。
けれどこれはなんでもほどほどにしておきなさい、
ということを言おうとしているのではありませんでした。
罪から来る報酬は死である、
この御言葉に触れるといつもこのバナナのたとえ話を思い出します。
私たちを永遠の滅びから救い出して下さったイエス様のことを、
時々心の片隅に追いやってしまっている私はなんという悪いやつだ



■ローマ8:38私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、8:39高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

★キリストの愛に捕らえらたパウロの告白です。その時人は恐れから解き放たれます。自由が与えられます。強くなります。キリストの愛に心を開きましょう。神様は愛する者と共に働いてすべてのことが益となるようにして下さいます。ヒデ

私がどんなに罪深い人間でも、どんなに堕ちていっても、
その下にはキリストの手がある。どこまで堕ちようとも救い手がある…、と
神様、あなたはそのようにおっしゃいました。
私が今ここでこうしていられるのもすべてあなたの御恵なんですね。
こんな価値のない者をあなたは尊んでくださるのでしょうか。
キリストの愛を感じます。

2012年3月15日 (木)

デボーションメール20120315

■ローマ3:23すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。3:25神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。3:26それは、……イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

★信仰義認とは何かが記された箇所です。私たちの側の努力によってではなく、神様が備えて下さった救いを受け入れることによって罪なき者と認められる。言葉をかえるなら罪は私たちの存在自体にまで深く入り込んでいるので、良き行いをもって神様に受け入れられることはできない。いえ、良き行いをすることができないと言うことです。だから主を信じ仰いで生きるのです。

私が頑張るのではなく、ただイエス様の購いによってのみゆるされる。
深く考えないでただそう信じていました。
そこには罪が私の存在そのものに潜んでいるからだと
改めて教えられました。



■ローマ4:20彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、4:21神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。4:22だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。

★信仰の父と呼ばれたアブラハムが神様に義と認められた理由についての紹介です。彼は自分の足らなさ汚れを知らなかったわけではありません。むしろ「いや」と言うほど見せつけられました。しかし彼は「神様はこんな私をも造りかえて下さることのできるお方である」と信じ、自分を神様の前に投げ出したのです。それがよしと認められ、その通りの存在へと神様の恵みによって変えられていったのです。信仰には力があります。信じましょう。ヒデ

信仰には力があります。
本当にそうだと思うことがあります。
アブラハムの場合と少し違うけれど
死を目前にした患者さん。
迫りくる死に対し信仰を持っている人は強い、
と看護師長が言ったことがありました。
死を目前にしたクリスチャンが平静でいられるのは、
神の国と義を求めつづけた結果だと思います。



2012年3月14日 (水)

デボーションメール20120314

■1テサロニケ5:15だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう務めなさい。5:16いつも喜んでいなさい。5:17絶えず祈りなさい。5:18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。5:19御霊を消してはなりません。

★「御霊を消す」とは神様の語りかけがあるのに、それを無視し、自分の思いを押し通すことです。最初、聖霊はあなたの内で悲しまれ、その悲しみはあなた自身、不安感や良心の呵責として受け取ります。しかしなお無視し続けると何も感じなくなり、ついに御霊を消すことに。感じなくなったからといって問題が解決したわけでも、良い方向に向かったわけでもありません。心が頑なになり、鈍感になったのです。細き御霊の語りかけが聞こえていますか。

なじみ深い御言葉です。
ある本の一場面、
汚い物を投げつけられたクリスチャンが怒ることをせず
賛美しながら川に入って体を潔めて出てきた、
やられたらやり返すよりも
平然としたその態度に、
本当の強さを感じます。
御霊を消すことのないように、
細き御霊の語りかけにいつも敏感でいたい。
まして、耳をふさぐことのないように。

■2テサロニケ1:3兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。

★人の成長とはどんな部分に現れるのでしょう。その人が結ぶ人間関係に愛が増し加えられ、再び来られる主に望みをおいて、どんな中にも希望を見失わないでいるか、と言った所に現れます。主とはやがて来られて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の感嘆の的となられるお方です。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に勝ちましょう。ヒデ

肉体はそのスピードに個人差はあっても朽ちていくもの。
この歳になると実感します。
歳はとりたくないというけれど、
確かにそれはそうなんだけど、
歳をとったせいかどうかはわからないけど、
昔はこんなこと考えなかった、
若い頃はそうは思えなかった、
歳とともに思いが変化してきて、

そして、今の方がいいと確信できるとき、
肉体が朽ちていく以上に、
心と信仰が成長している、

と思うんですけど?

2012年3月13日 (火)

デボーションメール20120313

■マタイ28:6ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。28:7ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」

★敗北、すなわち死の中に、主を見出そうと墓に訪れた弟子たちに、御使いが語った言葉です。もはや主は墓のなかにはおられません。そして主を信じる者も、墓の中、絶望のなかには長く留まりません。なぜでしょう。主がそこから信じるその人を引き出されるからです。復活の主があなたの心に深く留まりますように。

主が、そこから、信じるその人を引き出される。


■1テサロニケ1:6あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。1:7こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。

★テサロニケの教会を励ますパウロの姿がここに。愛のあらわれ、御霊が結ばせる豊かな人格の中には、率直な励ましも、そのひとつとして含まれています。あなたは人を励ましていますか。それとも人を励ますのはもったいないですか。あるいは反対に励まして欲しいですか。


■1テサロニケ3:11どうか、私たちの父なる神であり、また私たちの主イエスである方ご自身が、……3:13また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。
★ひとりも滅びる事を願われない父なる神様のの心がここに。この愛を受け取り強められましょう。ヒデ


再び主が来られる日のために。
主がのぞんでいらっしゃるのはひとりとして滅びないこと。
いつも私に愛を注いで下さる天のお父様
あなたの愛でだけ、私は強められていきます。


誰かが、私によってはげまされたとしたら、
こんなうれしいことはありません。
誰かが私をはげましてくれたら、
これもたいへん、うれしいことです。

2012年3月12日 (月)

デボーションメール20120312

■詩篇125:1主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。125:2山々がエルサレムを取り囲むように、主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。

★信仰者の平安な生涯が、エルサレムの不動性にたとえられ、神様がその民を守られる様子が形容されています。あなたは「昨日も、今日もいつまでも変わることのない」キリストに、信仰によってつながることを通して永遠を生きるものとされました。移り変わるこの世に支配されないでキリストに目を向けて歩みましょう。

本当はどんな時も、私が目を向けなければならないのはキリスト。


■マタイ26:73しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる」と言った。26:74すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。26:75そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。

★主が一番よりそって欲しいとき、何とか主の後をついて行ったペテロ。しかし離れすぎていたのです。だから結果的に「そんな人は知らない」と否むことに。しかしその距離を人間の努力や頑張りで埋めることは出来ません。そのために主は十字架の上で「父よ彼らをゆるして下さい。」と執り成し、当然私たちが支払うべき罪の報酬としての死を、身代わりに払って下さいました。あなたは愛されています。あなたの失敗は赦されています。あなたの存在は受け入れられています。キリストの愛の中に飛び込みましょう。そしてキリストに守って頂くのです。主は十字架に掛かられましたが、よみがえり、今も生きてあなたのために立ち上がって下さるお方です。ヒデ

この時「そんな人は知らない」と言ったペテロも、
やがては何物をも恐れずキリストを述べ伝える者として
用いられるようになります。
イエス様にはそんなこともとうにわかっていらっしゃったのでしょう。
願わくば、イエス様が十字架にかかられる前に
そうなればよかったのかもしれませんが、
私はここにペテロの成長を見守るイエス様の
暖かいまなざしを感じてしまうのです。
そのまなざしが私にも向けられていると思うとぞくぞくするほどです。


2012年3月11日 (日)

デボーションメール20120311

■マタイ23:11あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。 23:12だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。

★あなたはどんな人になることを望みますか。また、どんなリーダーシップをとる人になることを願いますか。キリストのリーダーシップは傍らに寄り添いその人を建てあげようとする「サーバントリーダシップ」でした。

自分が管理職となり、職場のリーダーになるとき、
自分にできることは何か、自分がやらねばならないことは何か、
考えました。
公職にある人間は民に仕える立場です。
仮にも一地方公務員である私は手っ取り早く言えば
市民に仕えるべき存在です。
でも…、

公務員が偉いものであるかのようにふるまうかと思えば、
我々はサービス業だと公言する職員たち。

でも、へつらうこととサービスは違うんじゃないか?
いろいろ思いつつ、悩みながらきたけれど、
私の使命は譲り葉かなあ、と。
そして職場のスタッフをひとりひとり尊重して働きやすくし、
後継者を育てること。
しかし、思ったことも口に出せず抱え込んでしまう私は、
実にお粗末なリーダーで、
それこそスタッフに媚を売っていただけではないか
と思われるのです。



■マタイ24:35この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。24:36ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。24:37人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです

★主はあなたを迎えに来るために再び来られます。この地上は永遠にこのままに残るものではありません。聖書はそのことをここで告げています。形あるものはやがて滅び去り、永遠をつぐことができないからです。ゆえにあなたの身体も霊の身体へと変えられます。だから永遠の滅びではない、キリストにある永遠の命へと変えられなければなりません。

主の再臨がしばしば話題になります。
それは明日かもしれない、
いえ、今、次の瞬間かもしれない。
もうちょっと待って下さい、
今、いい人になるためにがんばっている最中です…。
そんなあほなことを思っている私。



■マタイ25:40すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

★目に見えないだけです。だから人は間違いを犯して人を軽んじることがあります。しかし、その人は主に愛されている存在、主ご自身がその人の内に住んでいる存在です。だからキリストは「もっと小さい者のひとりにしたのは」と語られます。そして主を信じるあなたの内にも、キリストは住んでいて下さいます。内なる細き語りかけに敏感になりましょう。ヒデ

最も小さい者たちのひとりにすること、
最も小さい者こそ軽んじることなく、すること。
ほんとうに大切なことは目に見えない、
という“星の王子様”に登場するキツネのセリフを思い出しました。
キリストが自分の内に住んでいて下さるとはなんと幸せなことか。

続きを読む "デボーションメール20120311" »

2012年3月10日 (土)

デボーションメール20120310

■マタイ20:12言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』20:13しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。20:14自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。

★聖書にあらわされたキリストの人格に関して、個人的には最もひかれる箇所です。働きたくても働けない人のためには、一日1デナリ、すなわち人が生きていく上で必要なものは与えられるべきである。そして強い人には「友よ」と語りかけ、父なる神様の心を共有して欲しいと願われる主。このお方にお仕え出来る光栄を覚えます。

私たちは神様にはなれないけれど
神様の御心を共有することはできる。
いつも私に愛と御恵を注いで下さり、
ゆるしの神、救いの神として臨んで下さる天のお父様。
私も誰かをゆるさなくてはならないことがあります。
誰かを救えることがあるかもしれません。
何かとてもおこがましい気がするのですが、
神様が私を用いて下さろうとしていらっしゃる時があるかもしれない、
と少しあつかましいことも考えています。
まずは自分自身が最もゆるしていただかなくてはならない存在、
最も救っていただかなくてはならない存在である
ということを忘れないでいよう。



■マタイ21:27そこで、彼らはイエスに答えて、「わかりません」と言った。イエスもまた彼らにこう言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。

★イエス様の問いかけに「わかりません」と答えた祭司長、民の長老たちは、なぜそのように答えたのでしょう。それは立場の弱い人を守るためでも、真理を重んずるためでもなく、ただ自分たちの立場を不利な状況に置きたくなく、自己弁護、自己義認に生きるためでした。要するに彼らはただ卑怯だったのです。自分の立場が悪くなると逃げるよりも、むしろ真実や本質が明らかになる中、変わらなければならないのが自分であることに気づかされたなら、その中に飛び込み、主が憐れみ自分をどのように作り変えて下さるのか、信頼して主の御手に自らを委ねる者でありたいものです。ヒデ

ここは一種の詭弁的な要素が?
天からと答えても人からと答えても自分たちの立場を危うくする、
と考えたからわからない、と答える。
イエス様は当然彼らの意図は心得ていらっしゃるので、
初めからお話になる気はなかったものと思われるのです。
祭司長や民の長老たちは自分たちの権威を護ろうとする。
誰に対してより自分自身に対し、
私も言いわけ、言い逃ればかり。
もっと主に憐みを求め主の御前に自己を投げだせるように。



2012年3月 9日 (金)

デボーションメール20120309

■マタイ17:1それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。17:2そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。17:3しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。

★弟子たちはこの時驚きましたが、そう驚くべきことではないのかも知れません。なぜならこの栄光に輝くお姿こそ、主の本来のお姿だからです。キリストは、父なる神様のひとり子なるお方でいらっしゃったのにの、神のみ位を捨てることができないとは思われないで、人の姿をとりおとめマリヤのお腹を借りて、この世に来て下さったお方です。ペテロはこの時どう語ってよいか分からず、ここに小屋を3つ立てましょうと語りましたが、あなたなら何と告白したいですか。

そうでした、何も驚く必要はなかったのでした。
イエス様が何かの教えを説いてまわる、
いわゆる教祖のような存在であると考えがちですが、
決してそうではなくイエス様御自身が主でありながら、
人の姿、それも決して裕福ではないかたちをとって来られたました。

キリスト教には教えはないのです、
何があるかと申しますと・・・、

イエス様のみ、
大切なのは信じること、ただひたすらイエス様を信じることです、
それがここでも証明されている、と思うのですが。



■マタイ18:30しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。18:31彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。18:32そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。

★なぜ到底払い得ない莫大な借金を主人に免除して頂いたしもべは『悪いやつ』なのでしょう。なぜ獄吏に引き渡されることになったのでしょうか。

■マタイ19:21イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。

★共に生きること抜きの完全はありません。ヒデ

その人は多くの財産をもっていて、哀しみながら去ります。
なかなか勇気もいるしかなりの決断を迫られるところです。
私は多くの財産など持っていない分、
この人よりも捨てやすいようなものですが、
やはりなかなかせこい根性の持ち主です。





2012年3月 8日 (木)

デボーションメール20120308

■マタイ15:36それから、七つのパンと魚とを取り、感謝をささげてからそれを裂き、弟子たちに与えられた。そして、弟子たちは群衆に配った。15:37人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、七つのかごにいっぱいあった。15:38食べた者は、女と子どもを除いて、男四千人であった。

14章には5つのパンと2匹の魚で五千人を養った記事が紹介されています。にもかかわらずもう一度同じような内容が……。なぜでしょう。それは「私は必要があれば、あなたのために何度でも不思議をもってあなたを支えるよ」との主の愛の宣言。あなたは主に愛されています。主の憐れみのまなざしの中に置かれている存在です。全てのことを天に向け、祝福して裂き、分け与えて下さる主の愛を感謝し、受け取りましょう。

主の愛はどんなに多くのヒトに分け与えても
決してひとりひとりの取り分が減ることはない、
ってこと。
むしろ、増えるかもしれない…



■マタイ16:15イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」16:16シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

★「あなたは、生ける神の御子キリストです。」とはまさに主が願われた告白です。そしてこの告白を受けた主は「16:18ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」とペテロに語りました。教会を建てるのは誰でしょう。主です。では私たちは何をすれば良いのでしょう。教会をすれば、教会として信仰と希望と愛に生きればよいのです。また信じた者の世に対する愛のわざは、ハデス(地獄)の門さえ打ち破り、地上に神の国の支配の拡大をもたらします。人をびっくりさせる大きな事よりも、小さくても、し続ける自分にできる愛の種を蒔き続けるものでありましょう。ヒデ

イエス様はきっと
『わたしをだれだと言いますか』
とずっと問いかけ続けていらっしゃると思います。
哀しいかな、私はその問いかけに、
「あなたは、生ける神の御子キリストです」
と告白しているでしょうか?
いつも、イエス様におぶっていただき、
どうも私は
自分の足で歩いていないような、
そんな気がする。

2012年3月 7日 (水)

デボーションメール20120307

■マタイ11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

★最も多くの人に安らぎを与えた御言葉かもしれません。合わせて最も多く誤解されている御言葉かも知れません。それは安らぎを得る秘訣についてです。安らぎはただ重荷を下ろすだけでは与えられません。ふさわしいお方、すなわち主が負わせて下さるくびきを負うとこによって与えられるものです。キリストにあって必要とされている。お役に立てている、貢献できた。それがあなたに満足と安心を与えるのです。あなたは社会的存在です。

昨年は、私の通う教会の創立50周年でした。
記念誌を作製するにあたり自分の好きなみことば、賛美を
書き添えることになったのですが、

みことばは、迷わずにマタイ11章28節を選びました。
あなたがたを休ませてあげよう、
と主はおっしゃっています。
自身の力でどうにかしようともがく必要はない。
そして、イエスさま御自身と同じくびきを負うということがとても大切なように思います。

歩調を合わせてともに歩ませていただきたいものです。
実は私は、イエス様におぶっていただいている者です。



■マタイ12:49それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。12:50天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

★イエス様はマリヤと実の兄弟を軽んじ切り捨てたのではありません。むしろその輪を広げ、家族の輪の中に人々を招き入れたのです。あなたもキリストにあって神の国の家族です。

イエス様は御自身を産み育てた母マリヤを軽んじるようなことは決してなさいません。
皆が神の家族であるようにと祈っていらっしゃるのだと思いました。



■マタイ13:57こうして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」13:58そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。

★もの事を人間的、表面的にしか見ない不信仰は、あなたの生涯に注がれる恵みを留めます。なんと幸いなことでしょう。「あなたこそ生ける神の子キリストです。」と言い得ることは。ヒデ

少し前のことになりますが、
この個所が説教題に選ばれたことがありました。
一生懸命聴いたはずなのに、
なるほどと納得したはずなのに、
今ここで反芻しようとしてもまとまりません。

自分の信仰が自らを救う…。

祈りたいと思います。


2012年3月 6日 (火)

デボーションメール20120306

■マタイ8:8しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。8:9と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」……8:13それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。

★信仰とはイエス様に与えられている権威を認めそれを受け入れることでもあります。イエス様に与えられている権威とはどんな権威でしょう。主は語られたました。「私は天においても地においても一切の権威が与えられた」と。さああなたはこれを認め、告白しますか。

百人隊長のこの言葉、
決して難しいことを言っていません。
日常生活の中にイエス様の御言葉、ひととなりが生きています。



■マタイ9:28家に入られると、その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、彼らは「そうです。主よ」と言った。9:29そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。9:30すると、彼らの目があいた。

★自分の内に信仰があるか、ないかをさぐるよりも、主を見上げましょう。主はあなたの内に生ける信仰を引き出して下さるお方です。

私にそんなことができると信じているのか、
牧師先生がキリスト教にあるのは教えではないんです、

ただイエス様がいらっしゃるだけ、ただ信じること、
それが奇蹟を起こすのだと思いました。

それは自分の中に信仰があるかないかをさぐることのように考えていましたが、

そうではない、と深いところをさぐられた思いです。


■マタイ10:32ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。10:33しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。

★何を畏れるのかが問われ、それによって報いを受けるのが人生です。ヒデ

うーん、何を畏れるかと言われると、私は・・・だ。
まずは、自分がクリスチャンであるとなかなか言えないことが問題だ。
こんなやつでもクリスチャンだと言うのか、

と言われそうで・・・。


2012年3月 5日 (月)

デボーションメール20120305

■マタイ5:13あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。5:14あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。5:15また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。

★塩は自分をむなしくし溶けてこそその役割を果たせますし、光は高き所に掲げられてこそ周りを照らせます。あるべきものがあるべきところにあることの尊さを覚えましょう。あなたはキリストにあって地の塩、世の光とされました。

私はあるべき者として主がこの世におかれたのでしょう。
私は塩気を味わい、世の光に照らされています。
主はこんな私に自ら地の塩となれ、世の光となれ、
とおっしゃってくださっているのでしょうか?

そうなれるとすればずいぶん私は高められる気がします。


■マタイ6:26空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

★あなたはさらにまさったものです。神様によってそのように創られたのです。神様がそのように定められたのです。神様が創り、定め、よろこび、祝福しているのに、その神の作品である『あなた』を卑下しているのは誰ですか。その人は神様の愛を受け入れ悔い改めなければなりません。人は自分を神にすることはできないのです。

明日のことを思い煩うな、
そう言われてもなかなか安心できないのが人間かもしれません。
神様の御恵みはついつい見えないことばかりのように思いがちですが、
目に見える御恵みがこんなにたくさんあります。

そういえば人は神様にはなれないけれど
神様のなさるようにしようとすることはできると教えられました。

最初は、え?と思ったのですが、
こんなに神様の祝福と憐みとゆるしを受けている私なら、

他の人を祝福し、憐れみ、ゆるすことができるのでしょうか、

でもその前に、
私自身が一番ゆるしてもらわなければならない存在なのだ
ということを忘れないようにしたいと思います。



■マタイ7:13狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。7:14いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

★損か徳か、楽かどうか。見栄えが良いか悪いか。それがあなたが持つべき価値観ではありません。『それは御心かどうか・キリストか喜ばれるかどうか』です。『イエス様ならどうなさるか』を人生の価値観としていることの大切を覚えましょう。ヒデ

世の中ってそういうものだなあと思います。
狭き門というジイドの小説はあまりに有名ですが、
本のタイトルが聖書からとったものだと知ったのは
いつのことだったでしょう?
子供心に、善いものは簡単には手にはいらなくて当たり前なんだろうな、
などと思った記憶があります。

2012年3月 4日 (日)

デボーションメール20120304

■マタイ1:19夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。1:20彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

★神様を畏れる者に与えられる特権がここに。人には、どうにも越えることのできない課題が時に立ちはだかるものです。それを越えさせて下さるお方は誰でしょう。「恐れないで……」と語りかけて下さる神様以外にありません。自らの正しさにだけではどうにもならない時、ヨセフのように神様の恵みを受け取って生きるものとさせて頂きましょう。

ヨセフはマリヤを責めることもなくひそかに離縁しようとしました。

マリヤにもある意味災難であったかもしれません。
周囲からは不貞を働いたように思われ、
彼女の人格がおとしめられたかのようです。
けれどマリヤも神様の恵みを受け取りました。
エルグレコの『受胎告知』を見ました。
マリヤは天使の方を振り向いています。
そして手を挙げ、
神様に従う意思を表しています。

私も神様に従う者でありたい。

その思いはあるのですが、
罪にまみれ汚れきっている自分がいます。



■マタイ3:8それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。3:9『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

★残念かな人は、いつの間にか高慢の霊に取り憑かれ、横柄な態度となり、時に取り返しのつかない程の失敗さえ犯す者です。バプテスマのヨハネはそのことを意識してか直言をもって民の心を正します。その結果、聞く耳のある人は悔い改めに導かれ、生活の変化をもって命を得ます。逆は次第に心頑なになり回復が困難となるでしょう。神様にある直言は恵みと受けとめましょう。

そうでした、
私も気づかないうちに高慢の霊にとりつかれています。
気を引き締めて、自分の弱さを誇ろう。

本当の意味でのプライドは遜った時にこそ活きてくるもの。
ここに卑下と謙遜の大きな相違があるのでは?

クリスチャンとしてのプライドがあるなら、

あくまでも遜ったものであらねばならないと思う。



■マタイ4:11すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。

★さまざまな支えはあります。しかし、罪の誘惑を断ち切るのは自分の意志が不可欠です。神様の御腕の中に落ち込む決断をなし、神様の助けと恵みの中を生きましょう。ヒデ

サタンは神様から受けるべき礼拝を自分が受けたい
と思っているそうです。
サタンといえど神様の支配下にあるのだそうです。
神様のゆるしがなくてはサタンさえ何もできない。


2012年3月 3日 (土)

デボーションメール20120303

■詩篇124:2「もしも主が私たちの味方でなかったなら、人々が私たちに逆らって立ち上がったとき、124:3そのとき、彼らは私たちを生きたままのみこんだであろう。彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき、124:4そのとき、大水は私たちを押し流し、流れは私たちを越えて行ったであろう。

★「もしも主が…」との前提に立って主の恵みを確認しょうとする筆者の心がよく表されています。ややもするなら神様の恵みを、当たり前の事としてしまいがちなお互いにとって耳を傾けるべきメッセージではないでしょうか。あなにとって心に刻むべき「もしも主が…」とは何でしょうか?

誰も空気にいちいち感謝することはないでしょう。
神様、これから呼吸させていただきます、と言って
息を吸ったり吐いたりするひともめずらしいでしょう。
かぞえてみよ、主の恵、ですが
数え切れるものではなく数えることのできるものでもないでしょう。
けれど一つ一つ思い起こすことにより喜びが増します。
あれがない、これがない、と思い煩うことは多いのですが、
自分にはこれがある、あれがある、
と、数え上げてみるのは私にとってすごくいいことです。
この地球上で私が生かされているのはほんとうに奇跡的です。
例えば、太陽からの距離、地球自身の大きさ、など
どれもほんの少し条件が違えば人間の存在はあり得ません。
こういうことを神様は普通になさるお方なのです。



■2コリント12:6たとい私が誇りたいと思ったとしても、愚か者にはなりません。真実のことを話すのだからです。しかし、誇ることは控えましょう。私について見ること、私から聞くこと以上に、人が私を過大に評価するといけないからです。

★主を知らない場合、人の前に自分をより大い者として見せたい、これが多くの人が抱く価値観ではないでしょうか。しかしパウロは「過大に評価されることかないように」でした。ここに本当は人を自由にする秘訣があるのです。あなたはすでにありのままを生きる自由を体験していらっしゃいますか。

自分自身の弱さを誇る、
この部分は何度読み返してみても
説き証しをしていただかないとちんぷんかんぷんです。
パウロは高慢を戒めています。
高慢は人間にとって最も恐ろしい症状です。
しかも自覚症状がない。
また、自分を裁いてもいけないのです。
あるがままの自分をさらけ出すことができますように。



2コリント12:8私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。

★不思議です。真理は一度人を縛り不自由にします。真理が自分の外にあるからです。しかし、真理を受け入れたなら、人は真理で守られ、強められ自由を生きれる者となります。あなたはこの奥義をお分かり頂けますか。ヒデ

わたしたちは真理に逆らっては何をする力もなく、真理に従えば力がある。13:8
真理とはわたしに力を与えてくれるものなのだなぁ。

真理は本来私にとって無理のないものである

そこからはずれようとすると、

…確かにしんどい。

2012年3月 2日 (金)

デボーションメール20120302

■2コリント8:9あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

★パウロはこの章で献金について勧めますが、多くの場合、人は献金の趣旨を誤解しています。天地宇宙、すなわち全てのものの所有者であられる神様は、僅かに持つ私たちの財をむしり取るように奪って喜ぶ悪代官ではありません。むしろ多くのものを与えたいと願う父の心を持つお方で、沢山委ねてもそれを正しく管理し、祝福に変えることのできる人を献金の姿勢を通して探しておられるのです。お金は魔物です。ゆえに金におぼれて一生を台無しにする人がいます。しかし本当のところは人を幸せにするためのひとつの道具です。ならば道具に使われ、道具に飲まれるのではなく、道具として使いこなせなければなりません。父なる神様の心を受け取りましょう。

母はある宗教に誘われて入っています。
そこでそれなりに神様の話も聞いてきます。
もちろん世間を騒がせたようなどこかの怪しげな宗教団体ではなく、
それなりに実績もあります。

しばらく前に、母のお友達が(そこで知り合ったのですが)そこをやめた、
と言うのです。
私ならクリスチャンをやめる、ってことになるのかなあ、
やめる?それも不思議な話、という感じがしたのですが。
原因は寄付のことのようでした。
「いわゆる“仕切り”の人がいてね・・・。」
と母は何気なく話してくれました。
「つまり、こうこうこれだけ寄付しないといかん・・・みたいなことを言われてね、
あんたはそれをしないとどうとかこうとか・・・、で、
お金がかかってしょうがない、って。」
「それではどこかのつぼ売りみたい。
寄付しなきゃ幸せになれないって言ってるのと同じ、
脅迫に近いねえ、それは違うと思うわ。
それに○○先生(いわゆる教祖)はそんなことおっしゃらないと思うけど。」
どこかで、思いがゆがめられているのを感じました。
クリスチャンの私がそんなことを思うのはおかしいのかもしれませんが、
「うちの牧師先生は『献金は喜びをもって心から捧げるもので、
いやいやするくらいならしない方がまし』と
おっしゃるよ。
神様からいただいた御恵みをお返ししているだけだよ。」
お金は使っても使われるな、とも言います。
神様に再びお捧げできることに感謝したいと思います。
神様は心からお捧げすればいく倍にも生かして用いて下さいます。
私が自分で使うより有効利用です。



■2コリント9:6私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。9:7ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。9:8神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。

★8章のお勧めの裏付けとも言えるパウロの勧めです。少しだけ蒔く、豊かに蒔く……と、8章とは視点を変えて、収穫を願って種を蒔く農夫に譬えて表現します。いずれにしても与えることを通して与えられる祝福の法則は共通です。主はマラキ3:10で「ためしてみよ」と語られました。試す動機は喜んでの自発です。ヒデ

各自は惜しむ心からではなく、
また、しいられてでもなく、
自ら心で決めたとおりにすべきである。
神は喜んで施す人を愛して下さるのである。
喜びと感謝をもって捧げものをしたいと思います。

献金の意味がゆがめられることのないように。

2012年3月 1日 (木)

デボーションメール20120301

■2コリント4:6「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。4:7私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

★この章でパウロは「明らかにされるため」との言葉を繰り返します。「いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。」「私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです」の通りです。なぜでしょう。イエス様のいのちの豊かさを体験し、知って欲しいからです。神様の恵みに励まされ、信仰によってわがままな自己を十字架に付ける、これが勝利の霊的法則です。

キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするため、
神のかたちである栄光の福音の輝き、
わがままな自己を十字架につける、
真摯に受け止めたいと思います。



■2コリント5:14というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。5:15また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

★人はどれ程に解放された生涯を歩みたいと心に願うことでしょう。でも現実は多くの人が縛られた生涯を過ごすのです。何にそんなに縛られるのでしょう。自分です。そしてこの罠に捕らわれると人は、喜びを失い、感謝を奪われ、その心は不満で支配されるようになり、見えていた希望もいつしか消え去り、ついに健康さえ害し、ひとりぼっちになるのです。それを唯一打ち砕くのが前章の「イエスのいのち」です。どうかわがままな自己を十字架につけた私の心に、イエス様のいのちが満ちあふれますように。ヒデ

人は、誰でもなく、自分自身によって縛られています。

何かをする自由を主張しながら、
実は自己の欲望に囚われているに過ぎない、
それに気付かない人はあまりに多く、
気づいてもどうにもできない私のような人間もいます。
何かをしたい、という気持ちはとても大切なもので、

そういう心も神様が備えて下さったもの、

正しく用いたい。

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ