« デボーションメール20120407 | トップページ | 今日はイースターです »

2012年4月 8日 (日)

デボーションメール20120408

■ヨハネ20:8そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。20:9彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。

★婦人達の報告を聞き、飛び出してキリストの遺体が納めてあった墓に駆けつけたペテロとヨハネ。彼らは空になった墓と、頭に巻いてあった布きれが巻かれたそのまま置かれていたのを確認し、信じたとあります。しかしまだ納得できたわけではありませんでした。あれほど主が十字架に掛かられる前に、自ら十字架にかかっていのちを捨てると語られていたにもかかわらずです。ここから学べる教訓とは?人は霊的納得が与えられなければ、たとえ示される救いについて教理的に訴えかけられても、それを認め心に受けとることはできないと言うことです。神様がお互いの霊の目をお開き下さるように祈りましょう。

霊の目を開いていただき霊的納得が与えられるように、とのことです。
これまで私は納得していたのかもしれませんが、それが霊的であったかどうかはわからないのです。
ただ聖書に書かれてあるのだからこれは本当に起こったことである、とそう思っています。
それを他の人に説明することはできません。
けれど、誰かに尋ねられた時に自分の納得を説明したい、主を否定されたくない、
とそんな思いから教理的に学ぼうとしていたのかもしれません。

 

 

■ヨハネ21:17イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

★大祭司の邸宅の中庭で十字架に掛かられる主のことを「私はその人を知らない」と、主を否定し裏切ったペテロ。そのペテロを復活の主が訪ねて下さった場面です。裁くためではありません赦すためにです。同様に主があなたに話しかけるとき、それは裁くためではなく赦し解放するためです。「あなたはどこにいるのか」とアダムに主が話しかけた時も同様です。その時の応え方によって人生が変わります。恐れる必要はないのです。正直に罪を認め、へりくだって憐れみを求めましょう。ヒデ

自分がやましいと主を恐れる気持ちが起こります。
それは畏敬の念ではなく、怖がる方の恐れです。
よくそんなことをするとバチがあたる、などと言う人がいます。

バチをあてるですって?イエスさまはそんなケチなお方ではありませんよ、

とおっしゃったご婦人がいらしたのですが、本当にそうだと思います。
むしろ主は悲しんでいらっしゃるように思います。

 

だから主は憐れんで下さるのです。
憐れむ、などと言うと、失礼な!とプライドを傷つけられたかのように
思う人もいらっしゃるようですが、
れこそそんなケチな憐れみではありません。
憐みを求めることは決して恥ずかしいことではなく、
主の前にへりくだった美しい姿だと思います。

« デボーションメール20120407 | トップページ | 今日はイースターです »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1429720/44799381

この記事へのトラックバック一覧です: デボーションメール20120408:

« デボーションメール20120407 | トップページ | 今日はイースターです »

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ