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2012年4月29日 (日)

デボーションメール20120429

■創世記43:14全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」

★最初に子供達がエジプトに食料を買いに行ったあと、本来ならば更に2回、3回と買いに行かなければ、部族の命が保たれない状況にありました。しかし父ヤコブはなかなか末の息子ベニヤミンを同行させる決心が着きません。やっとのことで決心したヤコブの言葉が上の言葉です。「失うときには、失う」と。しかしこの明け渡しを通してまさかシメオン、ベニヤミンのみならず、ヨセフさえも取り返すことになるとは。「一粒の麦が地に落ちて死ななければ……」の御言葉は、こうした場面でも真実な神様の言葉として働くことに驚きです。


『僕の名前はベンジャミンです、ただし僕には弟がいますが。』
この部分を読むと、ふと

欧米人にはけっこうあたりまえのこのセリフを思い出すことがあります。

それほど聖書が欧米人の中には浸透しているのかな、と思います。

日本人の中にこのセリフの意味がすぐにわかる人が

どれくらいいるのだろう、と思う時、

もっと聖書が日本人の生活の一部になったらいいのにな、と思います。

かくいう私がその代表で、なんと主を排斥した生活を送っていることか。

モグリのクリスチャン、

名ばかりクリスチャン、

隠れキリシタン・・・

■創世記44:16 ユダが答えた。「私たちはあなたさまに何を申せましょう。何の申し開きができましょう。また何と言って弁解することができましょう。神がしもべどもの咎をあばかれたのです。今このとおり、私たちも、そして杯を持っているのを見つかった者も、あなたさまの奴隷となりましょう。」

★かつてヨセフをエジプトに売ってしまったことを後悔し、その後家族のもとを離れて住んでいたユダの言葉です。彼はかつてのことを単に後悔したのではなく、悔い、かつ改め、シメオンとベニヤミンのことを悔い改めました。

ここでもユダが神様の前に悔い改めのことばを語ります。

悔むだけでは変わらない、改めなければならない。

私は今日より明日は少し、ましになりでしょうか?


■創世記45:8だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。

★ヨセフの神様への確信のことばです。「今私がここにこうしてあるのは、あなた方によるのではなく神様による」と。ヨセフはどんなことがあっても自分の人生を神様以外に投げ出すことはしませんでした。さてあなたは。ヒデ

ヨセフが売られてから、どうなることかと思うのですが、
神様を離れさえしなければ、いい。

『その場で祈ればいいんですもの。

修行だとか御経だとかそんな難しいこと必要ないわ。

簡単なことよ。』

そうおっしゃった御婦人、うっとりした、
それでいて自信に満ちあふれたあの輝きは、

しっかりとした信仰に根付いているからなのですね。

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