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2012年5月 6日 (日)

デボーションメール20120506

■出エジプト13:19モーセはヨセフの遺骸を携えて来た。それはヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせたからである。

★いかにヨセフによってエジプトが飢饉から守られたことか、しかしそのことを知らない新しい王が生まれてから、イスラエルは400年間の奴隷生活をエジプトで強いられます。そんな中にあってもイスラエルの民を支えたのが、まさにこのヨセフの遺言でした。あなたの残りの地上の生涯が、このメッセージを深く刻み続けるものでありますように。

子供の頃、聖書物語を読みました。
単にそれは読み物でしかありませんでした。
今、私は聖書を知ろうと、理解しようと努力を始めました。
聖書に書かれてあることは全て本当におこったことばかり。
中にはとても信じがたいような内容もありますが、
聖書に書かれている限りは誰が信じても信じなくてもそれは事実。



■出エジプト14:13それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。

★前には紅海、後ろはエジプトの戦車と、逃げ場を失ったイスラエルの民は、呪いとも言うべき苦々しい言葉をモーセにぶつけます。その時主が語られた言葉、それが上の御言葉です。時代は変わっても選びの民を絶対絶命の状態から救われるお方は変わりません。静まって主の救いを見る信仰に立ちましょう。

主の救いをみる信仰、
選ばれた民は時や場所が変わっても
主の救いにあずかることができるということでしょうか。
イスラエルの民は40年間旅を続けました。
そしてその間、笑えるほどの愚行でモーセを悩ませました。
人は弱いもので、苦しくなるとすぐに主を裏切るのです。
不平不満を口にし、エジプトにいた方がよかった、
とまで言います。
私がこの愚かな民とどれほど違うといえるのだろう?


■出エジプト15:25モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。

★一本の木とは、やがてのキリストの十字架を象徴します。十字架は投ぜられるそこを人が生きることのできる地とします。ヒデ

旧約聖書と新約聖書ってどう違うの?
新約はイエス・キリストお生まれになってからのことで、
旧約はそれまでの記録です。
なんともお粗末なことしか言えない私。
けれど、旧約聖書には
やがてキリストが誕生がするとはっきり記されています。
私が初めて読んだ聖書は、新約聖書だけの、
確か英語対訳の横書きだったような…。
ギデオンの贈呈書でした。

私がいただいたものではなかったのですが、

今、手元に残っているのは
その時いっしょにいただいたと思われる真っ赤な表紙の讃美歌だけ。
その後、買ったのは“新改訳”
今、使っているのは“口語訳”

讃美歌から聖歌、そして新聖歌、
と使う賛美集も変わりました。

黒い表紙の聖歌は、
これはなんと、
私が統一教会に通っていた時に購入したものです。



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