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2012年5月 8日 (火)

デボーションメール20120508

■出エジプト19:17モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。

★モーセがシナイ山で主から十戒を授かる前の話ですが、ここに神様に仕える働き人の歩みが。多くの人は実際の生活の安定を求めて、宿営に留まることを願うのかも知れません。変化よりむしろ安定への願いが強い場合があるからでしょう。しかし主に仕える働き人は、更なる祝福を民が主から受けとれるようにと召されます。人々は新約の祭司とされたあなたの生き方を見ています。

特に私は安定を求める傾向が強い人間です。
向上心がないわけではないのですが、
より多くを求めて危ない橋を渡るより
今の安定を守ろうとする傾向にあります。
どこかに、もうこれくらいでいいからという思いもあります。
けれどここで主は私に望んでいらっしゃるように思えます。
何を?

御自身の授ける祝福を私が受け取れるように。
私も宿営から出ていくのかなあ。



■出エジプト20:2「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。20:3あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

★モーセがシナイ山の頂きで主から受けとった10の戒めの一つです。主は神様との関係と隣人との関係について戒めを与えられましたが、イエス様は、新約時代これを二つに集約されます。すなわち、「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛せよ」です。そしてこの戒めは今の時代にも効力を持っています。

確か、嫉妬深い、と表現されている個所がありました。
そこだけ読むと『なんという神様だ』と思われそうだなあ
とキリスト教に否定的なひとたちに何か言われそう、
などと私は妙に心配になります。
もっとうまい言い方はないのでしょうか?

というわけで、いろいろな訳をみなければなりません。


■出エジプト21:24目には目。歯には歯。手には手。足には足。……21:26自分の男奴隷の片目、あるいは女奴隷の片目を打ち、これをそこなった場合、その目の代償として、その奴隷を自由の身にしなければならない。

★主から十戒を授かった民としての人の道を、主はモーセを通して語られます。「目には目を」とは人を悪意なく傷つけてしまったものが守られるようにとの戒めです。人の欲と憎しみは時に際限なく増殖します。神様はそうした力で神の民が動くことを願われないのです。いつの時代も自分の罪深い自我を十字架に付けて、人間関係を築くようにと主は願われます。ヒデ

目には目を、歯には歯を…
子供の頃、ハムラビ法典の教理だと思い込んでいました。
キリスト教ではそんなことは言わない、と思っていたんですね。
でも旧約聖書にはちゃんと書かれているのです。
これはけして復讐の意があるのではなく、
守るための言葉だったのですね。

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