« デボーションメール20120515 | トップページ | 産んでくれ! »

2012年5月16日 (水)

デボーションメール20120516

■レビ記1:4その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。

★人はアダムの子孫として、いのちの贖いなしに神様の前にでることができない者との自覚がイスラエルを罪と裁きから守る事を教えます。自分をどんな者として自覚するかが問われます。残念ですが、行いによって神様に受け入れられるほど、人間の動機と行為は聖いものではありません。それを謙虚に受け入れ、いけにえをささげて神様の前に出るのです。


自分がいくら努力しても神様には受け入れられない、

いかにも理不尽な感じがします。
原罪について、知人は
自分が犯した覚えがないのに罪人だと言われるのは納得がいかない、
と言いました。
この辺りが難しいところです。
自分をどのような者ととらえるか、
関西弁でいえば、
「なんぼのもんやねん?」
というところでしょうか。
生まれながらに罪をもった存在、それが私。
卑下するのではなく謙虚でありたい私。



■レビ記2:11あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはならない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしてはならないからである。

★主にささげる供え物にはまぜものがあってはならない。事実以上に大きく膨らまそうとするものがあってはならないと教えます。献げ物によって自分が崇められるようなささげ方をしてはなりません。

なぜパン種を入れてはいけないのか、
充分に納得致しました。
急いでいたから、パン種を入れる間がなかった、
と、昔、誰かに言われてからそう信じていたのですが・・・、
あれは聖書に出てくる捧げ物のことではなかったのだろうか?

■レビ記3:2その人はささげ物の頭に手を置く。それは会見の天幕の入口の所でほふられる。そして、祭司であるアロンの子らは祭壇の回りにその血を注ぎかけなさい。

★神の小羊であるキリストは全人類の罪をその身に負うために、自ら十字架の上にいのちを捧げられました。ゆえに十字架を通って神様に近づく人をいつも救うことができるのです。

なぜ、キリストが神の子羊と言われるのかを知った時、
自分がイエス・キリストの十字架における血の贖いにより
罪ゆるされ救いの恵にあずかったということがわかりました。



■レビ記4:3もし油そそがれた祭司が罪を犯し、民が咎を覚えるなら、その人は自分の犯した罪のために、傷のない若い雄牛を、罪のためのいけにえとして主にささげなければならない。

★良心の呵責なく生きることの尊さを教えます。ヒデ

聖書通読で、この辺りを読んでいる頃は、
さっぱり意味がわかりませんでした。
意味がわからなくてもかまいません、とにかく読み進めなさい、
そう言われて読んでいきました。
本当は自分が血を流さないといけないのだけど、
アダムの子孫である私の血はすでに聖くないというわけで・・・
咎の全くない血でなければいけにえにはならないから、
傷のない無垢な動物をいけにえとして捧げる、ということ。
「なぜ、罪のない動物を殺すのか?キリスト教って残酷だ。」
と言う人もいるのだそうです。
御心配なく、
今はイエス・キリストが全ての罪を背負い十字架にかかって死んで下さったので、
動物をいけにえとして捧げる必要はなくなりました。


« デボーションメール20120515 | トップページ | 産んでくれ! »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1429720/45277245

この記事へのトラックバック一覧です: デボーションメール20120516:

« デボーションメール20120515 | トップページ | 産んでくれ! »

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ