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2012年5月19日 (土)

デボーションメール20120519

■レビ記11:45わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから。あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」

★主は一つ一つ汚れた食べ物を紹介し、最後にこのことばを語られます。身を守る鱗、すなわち神のことばを重んじ、ひづめの分かれた足を持つもの、それは世的なところにだけとどまるのではなく、信仰の高嶺にも登る事ができるものであって欲しいと、さまざま語られます。しかし同時に失敗の場合の赦しも語られています。新約に生きる私たちはすべて祈りによってきよめられるので、これらの規定に縛られる必要はありませんが、このスピリットは受け継ぎましょう。

旧約聖書を読み進めるうちにますます、
聖書は難解だという思いが膨れ上がってきました。
でも、とにかく先へ先へと、
わかろうがわかるまいがただひたすら読み進めます。
聖書は間違っていない、事実なのだ、とちょっと意地になっています。
聖書、
とりわけ旧約聖書はいちいち細かいことにひっかかっていては、
一生かかったところで読めないと思います。
また一にかえって何度でも読めばいいのだ、
野を越え山を越え道なき道を踏み越えぐずぐず言わずに進め、
みたいな思い(笑)。

ギデオンの聖書がなぜ新約だけなのか、なんとなくわかるような気がする…。
聖書は読書ではなく通読だ。
そうでした、
私は新約に生きているのでした。



■レビ記12:7祭司はこれを主の前にささげ、彼女のために贖いをしなさい。彼女はその出血からきよめられる。これが男の子でも、女の子でも、子を産む女についてのおしえである。

★全文をお読み下さい。ここから主がいかに婦人を尊び、守ろうとしているかを読み取ることができるでしょう。聖書はあなたに対する、全てここと同じ神様の愛と憐れみのメッセージです。受けとりましょう。滅ぼすためではなく、あなたが愛といのちに輝くためです。

他の宗教で…、
女性から教育を受ける権利を奪い続けていたある種の宗教は言うまでもなく、
ときどき女性が不当な仕打ちを受けている、と感じることがあります。
で、女性もそれをなんとも思わず、それに従順になっていることです。
かつてのウーマンリブは同じ女としてもいただけませんが、
え?と思うことが多々あります。
主が男と女を創造されたのです。
それぞれの役割を果たすべきだと思う。
どちらがどうとかではなく、どちらも尊ばれなければならない。
同じように尊ばれようとすれば、
より女性に心をかけていただく必要があるような気がするが…。



■レビ記13:3祭司はそのからだの皮膚の患部を調べる。その患部の毛が白く変わり、その患部がそのからだの皮膚よりも深く見えているなら、それはツァラアトの患部である。祭司はそれを調べ、彼を汚れていると宣言する。

★聖書は伝染性がありほとんどの場合、人を死に至らせるツァラアトについても規定します。その人を守り群れを守るためです。癒された時の群れへの復帰の道筋も明確です。全ては神様の愛の心です。ヒデ

聖書ってある意味、“生活の書”?
そんなことを思う私はアホですか?
それとも神様に対して不遜でしょうか?




昨夜、知人のお嬢様の御通夜でした。
長い間連絡をとってはいない状況でしたが、
次女の同級生ですし、何より哀悼の意を表したく思い、
列席させていただきました。
遠方にいる次女は出席することもままならず、
その思いもくみあげてのことでした。
小学生から中学生のころにかけて存じ上げておりますが、
実に高感度の高いお嬢さんで、いわゆるいい意味での大人、
またそのことが、子供らしさを損なうことは全くありませんでした。
いい人は神様が早く連れて行ってしまわれる…

なくなられた経緯はわかりません。
少し事情を知る方が、
まあ、事故、ですね、
とおっしゃっていたのが気にかかりますが、
誰もがあえてそのことについて語るのを避けているように思えました。

それにしても若すぎる死。
この1月に25歳になった彼女はエンゼルメイクを施されていました。
その肌のきれいさが彼女の若さを象徴していました。
こんなに若い方の御遺体と対面させていただいたのは初めての経験でしたが、
まばゆいような美しいお顔はぬくもりさえ感じさせました。

もっと生きていたかったでしょ?
もっとやりたいこと、あったでしょ?

当然のことながら、自分の娘とだぶりました。
これは受け容れがたい事実です。
そういえば父が亡くなった時、
今日もお父さん帰ってこない、
今日で○○日、お父さん、帰ってこない…。
父の死を受け入れられていなかったのですね。
今から思えば、そうやって何日も経って
少しづつ父の不在を受け入れていったのです。
まして先に逝くはずのない人が旅立ったのです。
御両親の思いは…、推し量ろうとしてもどうしてもできないのです。
考えられない事実を突き付けられた御家族は
ただじっと耐えるしかないのです。

少し包ませていただきたいと思いましたが、
表書きを“御霊前”か“献花”もしくは“お花料”にするか迷いました。
郷に入っては郷に従え、と言いますが、
クリスチャンはそれをしません。
“御霊前”ならば問題はないようです。
今までは宗教不問の“御霊前”としていました。
少し考えて今回は、あえて“献花”としました。
自分がクリスチャンであるということをより明確にしたい、
という自分への偏った思い、
と言われればそうかもしれません。
私には故人が仏教を信仰していたとは考え難かったのです。
そこそこ歳をとり、
信仰とは別にその家々に伝わる宗教を守っているような人ならばともかく、
とりあえずの形だけの仏式なら、
私の思いは“献花”とすべきだという結論に達したのでした。

予想したとおり、ばりばりの仏式で、会場にはいるなり、
木魚の音が耳に痛いほど大きく響きました。

もちろん数珠はもちませんし、お焼香もしません。
御遺体に手を併せて拝むこともしません。
初めはこれがなかなかつらいものでした。
娘の恩師は、クリスチャン歴ン十年の方です。
お焼香をしなかったと言って母親に張り飛ばされました、
と笑っておっしゃっておいででした。

“御家族が大切にしている仏壇なら、
拝まずとも掃除をしておあげなさい、
そのひとの思いを尊重しなければなりません、
やみくもに否定すればその人をつまずかせます。
でも、
お焼香はいけませんよ、
遺体を拝むこともね、
我々が拝むのは神様だけですよ。”
牧師先生の御言葉が蘇ります。
遅れて入った私は後方の別席に離れて座っていました。
お焼香の列に加わらなくとも問題はなさそうでした。

けれど私はやはり御親族、とりわけ元同じ職場であった
お母様に
私が来たことを知ってほしいと思いました。
決して恩着せがましい気持からではありません。
ただただ悼む心をを伝えたいと思いました。


キリスト教式でない告別式に参列してお焼香の場に遭遇した場合、
まず御親族に一礼、
そして同席した方々に一礼、
そして前方、御写真などが飾られていると思いますが、
そちらに向かって一礼、
これら一連の所作を何気なくさりげなく自然に行って

哀悼の意を表します。
これはお母様にぶたれたとおっしゃった先生から教わった
“お焼香をせずにやり過ごす方法”です。


法事にお招きいただいた時も、
お経が唱えられている間に、
小さな焼香台がまわってきますが、
一礼してそっと次の方に回します。

一同、合掌、或いは黙祷、などの御声がかかることがあります。
この時も頭をたれるだけで手を併せることはしません。

最初はこっそり数珠を持っていました。
私がうっかり数珠を忘れてきた、
と皆思うかもしれない、なんて思いました。
そう思われたくない気持ちはありましたが、
そう思われたい気持ちもあったかもしれません。

告別式における、お焼香などは単なる儀式だから、
ちょっと手を併せておけばいい、
とおっしゃる方もあります。
また、相手の方の気持ちを尊重すべきだから拝むべき、
という御声もあります。

でも、してはならない、
形だけのことならなおさらだ、
そう思うようになりました。
相手に“失礼だ”と思われるのではなく、
“さすがにクリスチャンだ”
と思っていただけるようにしなくてはなりません。

相手の気持ちを尊重しながら、
クリスチャンとしての姿勢を貫くことはなかなかたいへん。
もちろんその場で、
「私はクリスチャンですからお焼香はしませんし、
遺体を拝むこともしません。」
などと声高にいうようなことがあってはならないと思っています。
(そう言ってやりたい、と思うこともありましたが。)

クリスチャンが告別式に集うのは、
死者の魂を弔う、とか惜別の意を表するというより、
むしろ御遺族を慰めるため、
ということも聞きました。
結婚式よりも告別式に集う方が幸いである、
とされる意味はこのあたりにもあるのでしょうか?

しかし、召された魂はどこへいくのでしょうか?
亡くなられたお嬢さんはクリスチャンではありませんでした。
永遠の滅び?

それが気になる私です。
そんなことは御遺族の前では申せませんが。

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