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2012年5月 9日 (水)

デボーションメール20120509

■出エジプト22:2──もし、盗人が、抜け穴を掘って押し入るところを見つけられ、打たれて死んだなら、血の罪は打った者にはない。22:3もし、日が上っていれば、血の罪は打った者にある──盗みをした者は必ず償いをしなければならない。もし彼が何も持っていないなら、盗んだ物のために、彼自身が売られなければならない。

★約束の地カナンに向かうイスラエルの民の中に問題が生じた場合の一つの基準を主がモーセを通して示されます。起こってくる内容はさまざまであっても確認されることは同じです。他者に危害を及ぼしたものの動機は故意か偶然か。故意の場合は厳しく、それ相当に償いが求められ裁かれますが、故意でない場合は寛大な対応をしなければならないということです。


悪気はなかった、知らなかった、
だからと言って赦されるものではない、

それ相応の償いは必要。
けれどそこに悪意があるかないか、
大きい違いがある。
ヒトがヒトを裁く裁判であっても情状酌量というものがある、
遠い昔に神様はすでにそのようにおっしゃっていたのだと知りました。



■出エジプト23:6あなたの貧しい兄弟が訴えられた場合、裁判を曲げてはならない。23:7偽りの告訴から遠ざからなければならない。罪のない者、正しい者を殺してはならない。わたしは悪者を正しいと宣告することはしないからである。23:8わいろを取ってはならない。わいろは聡明な人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである。
■出エジプト24:12主はモーセに仰せられた。「山へ行き、わたしのところに上り、そこにおれ。彼らを教えるために、わたしが書きしるしたおしえと命令の石の板をあなたに授けよう。」

★主は約束の民のためにはご自身のことばを必ず授けて下さいます。かつては石の板にでしたが今はあなたの心に刻みつけて下さいます。「登って来なさい」と語られる時、ひとりになることを躊躇せず主の前にでましょう。世々の聖徒はそこで細き主の御声にあずかり、主の臨在によって輝く生涯へと移されました。ヒデ

23章のこの個所は当然のこと思えることを神様が
おっしゃっています。
私が生きている現在の日本ではあたりまえのことと
誰もが思える内容で、
けれどもそんな人間として当然と思えることも
神様が世を創造されたときに定められたことだったのだと知りました。
映画で、炎が石の板に“十戒”を刻みつけていくシーンを見ました。

聖書を開きこの個所を読みますと、確かにこんな感じかな、
と思います。
神様はあのように熱く焼きつけて刻みつけて下さるのですね。
ひとりになることを躊躇する私。
でも主がいっしょにいて下さるならひとりであって、ひとりでない。


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