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2012年5月19日 (土)

聖書ってな~に?

聖書は私の理解の範疇を超えることが大部分です。
というか読んでも意味のわからないことがあまりに多くて、
理解して納得する、というレベルにまでとても至りません。
だから、少しづつ学んでいます。
私にわかるのは、
聖書に書かれてあることは全て実際に起こったできごとだ、
ということです。
というか、私の中で聖書に書かれてあるのだから事実だ、
ということです。
それが全て倫理的に正しいかとかそういう問題は
ちょっと横に置いといて下さいよ。
とにかく事実。


聖書が難解なのは訳のまずさにある、
ときいたことがあります。
前にも書いたけれど、
現在、私の使っているのは口語訳です。
正直、どこが口語訳なんだろう?
と思います。

新改訳を使っていたこともあります。
牧師先生はよく説教や聖研の折りに、
○○訳では…、と他の聖書の訳を引用されます。
もちろんよりいっそうの理解を深めるためです。

自分の信じているものがなんなのか知りたい、
知ったことにより、不信になるということはない。
そう思えるのです。
信じさえすればいい、と思っていますが、
神様は私に、きちんと知りたいという思いを持たせて下さるのは、
やはり人から聞かれた時にきちんと答える用意をしておきなさい、
ということだと思っています。

聖書を学んでいくうちに、
そのことを明記してある個所がありました。
聖職者を目指す、教師になる、それだけが道を伝える方法ではないですから、
それはクリスチャン全てに対し
神様がそうおっしゃっているのだと思っています。

かつてある宗教?を信仰?している方が、
○○様(教祖的な存在)は100%正しいとおっしゃいました。
「だってその人、人間でしょう?
人間であるかぎり、100%正しい、なんてことがあるとは思えない。」
「だって、幼い頃から

ちゃんとそういう教育を受けてきているから…。」
「でも、教育するのは人間でしょう?
不完全な人間が教育するのに、完全な人間ができるわけないと思うわ。」

当時私はもちろんクリスチャンではありませんでした。
けれど完全に義である神様の存在は信じて疑いませんでした。
義とされるのは神様をおいて他にはないと信じていました。
なぜ人間にすぎない存在を、100%完全、義であると言い切れるのか、
そんなことを信じるなんて、それこそ、シンジラレナーイ。
私はめったにそういう話はしませんでした。
というか、そういう話をしたのはそれ一度きりです。
もめる元と考えていたからです。

私はだいたいにおいて自分を信用できません。
すぐ忘れる、
思い違いする、
早飲み込み、
すぐにその気になる、
ころころ気が変わる、
感化されやすい、
根性ない、
実に浅はかなうっかり者、です。
自信をもって何かを言いきることのできない人間。

少し考えればすぐにわかるような見え透いたことを信じ込む。
嫌と思っても断れない。

私はこう思っているけれど、
もっと他によい思いがあるかもしれない、
と他人の意見をいつも探っています。

また、
あのひと嫌だなあ、とか思っても、
翌日、おはよう、と笑顔で声をかけられると、
ま、いいかー、と思ってしまうのです。
こりずに痛い目に遭うこともしばしば。
信じた私がバカだったー、みたいなことも多々あります。

けれどもこれだけは思うのです。

完璧な人間なんて絶対存在しない。


義人なし、ひとりだに無し。

幼い頃聖書にこの言葉があるのを知って
やっぱり、と思った記憶があります。
神様をおいて他にはない、んですよね。


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