« デボーションメール20120602 | トップページ | デボーションメール20120604 »

2012年6月 3日 (日)

デボーションメール20120603

■民数記18:6今ここに、わたしは、あなたがたの同族レビ人をイスラエル人の中から取り、会見の天幕の奉仕をするために、彼らを主にささげられたあなたがたへの贈り物とする。

★モーセを用いてご自身の御心を明らかにあさった主は、キリスト者として贖い出されたあなたに対して、世への贈り物であると記します。確かにそう。あなたは世の光であり、地の塩です。

私は世の光、地の塩として神様がこの世に贈られたものです、
私はキリストによって贖いだされたものです。
自分にそう言ってみました。
私はとてもそんな大役を負うことはできません、などと言えば
それは神様への冒涜、になるかもしれない…。



■民数記19:13すべて死んだ人の遺体に触れ、罪の身をきよめない者はだれでも、主の幕屋を汚す。その者はイスラエルから断ち切られる。その者は、汚れをきよめる水が振りかけられていないので、汚れており、その汚れがなお、その者にあるからである。

★主はイスラエルに様々な機会を捉えてきよくあるよに、きよくあるとはどんなことかを示します。キリストは十字架を通して、ご自身のいのちを注ぎ出された愛によって、その愛への応答としてのきよさをあなたのうちに願われます。

正直なところ、このあたりの意味がよくわかっていません。
ただ神様がそうお決めになったのだから、と思うばかりです。
主がきよくあるとはどういうことかを折りに触れ示されているのだと知りました。
完全に理解できたとは思えませんが、きよくある、
と程遠い自分を思うと、少し落ち込みそう。



■民数記20:10そしてモーセとアロンは岩の前に集会を召集して、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」20:11モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。

★ミリアムが死んだ時、またもや民はモーセとアロンに不平をぶつけます。彼らはそこで感情的な反応は避け、主の前に退き、主の語りかけを受けとりますが、その行動において、遂に堪忍袋の緒が切れ、怒りをもってそれに当たりました。岩を2度打ったモーセの行動がそれです。あなたへの誘惑はどこに潜んでいるかわかりません。柔和さにおいて誰も彼の右に出る者のないモーセでもしかりなのですから。「試みにあわせないで悪しき者よりお守り下さい」の重要性を思います。ヒデ

民衆を率いたモーゼですが、彼自身はかの地にはいれませんでした。

その理由がこの個所だと、誰かから聞いた記憶があります。
その人の言うことがほんとうだとすれば、なんと厳しい…。
怒るのは神様であって、モーセは怒るべきではなかったのだ、
と思いました。
ため息が出ます。
私など誘惑されていることにも気づいていないにちがいありません。
また、何かのおりに、神様は試されています、ときいたことがあります。
ではなぜ、試みにあわせず悪よりすくいだしたまえ、なんだろう?
と思いました。

私はただ、試すことと試みにあわせることの意味を同じ、と
漠然と思っていたのですが、
試みにあわせず悪より救いだす、なのだと気づかされました。
ですが、もう少し深く知って理解を深めたいです。

« デボーションメール20120602 | トップページ | デボーションメール20120604 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1429720/45528847

この記事へのトラックバック一覧です: デボーションメール20120603:

« デボーションメール20120602 | トップページ | デボーションメール20120604 »

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ