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2012年6月 6日 (水)

デボーションメール20120606

■民数記26:64しかし、このうちには、モーセと祭司アロンがシナイの荒野でイスラエル人を登録したときに登録された者は、ひとりもいなかった。

★非常に厳粛な箇所です。主はモーセにエジプトから脱出したイスラエルの民の数を数えよと2回命じられます。1回目は出エジプト直後(1:2)、2回目は40年の荒野の生活が終わろうとしているこの時です。そして御言葉は当初登録した人で残っているのはヨシュアとカレブだけであると告げています。どういう意味でしょう。それは不信仰の民は約束の地を嗣ぐことはできないと言うことです。信仰がなくては神様に喜ばれることはできません。

約束の地に入れたのが二人だけ、

とすればエジプトから脱出した意味は何だったのか?
という気がしてきます。
神様はこんな不信仰な民を脱出させなければよかった、
などとお考えになっているとは思えないのですが、
信仰を守ることの困難さを思います。



■民数記27:22モーセは主が命じられたとおりに行った。ヨシュアを取って、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、27:23自分の手を彼の上に置いて、主がモーセを通して告げられたとおりに彼を任命した。

★約束の地を前にしたとき、主はモーセに今までとは違った語りかけを与えます。ヨシュアの上に手を置けと。人生をどのように締めくくるかは大事です。その中でも後継者にいかにバトンを渡すかは最も重要なことの一つです。そのために主に祈り、そのために主の御声を聞く。主は神の人の生涯をそのようにして完成へと導かれます。願わくはあなたの目が見えるものにではなく見えないものに注がれ、宝を天に積むそれであり、「神は必ずあなた方を顧みられる」と語ったヨセフのようなそれでありますように。ヒデ

目にはみえませんけれど今も生きて働いていらっしゃる神様。
祈りの時にM兄がよくこういう言葉をお使いになるのですが、
そもそも目に見えるものしか信じないという人が理解できません。
あたたかさ、音、など視覚以外の感覚器を介して
私たちがその存在を知り得るものは世の中にいっぱいあります。
心の目を開き、心の耳を研ぎ澄まして神様を感じることは
誰でもよくあることだと思うのですが。
きっとそれが神様だと気づかない。
私も、後で思えばそれがそうだったみたいなことが多いのです。





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