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2013年2月24日 (日)

デボーションメール20130224

■マタイ27:46三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

★主イエス様が十字架上で語られた数少ないことばの一つです。主は私たちが当然支払うべき罪の代価を、十字架上にささげたご自身のいのちをもって払って下さいました。その打たれた傷によってあなたは癒されました。

 

■マタイ28:18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。28:19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、28:20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

★「いつまでもあなたと共にいる」すなわちこれが教会です。教会を新たに創造するために主はご自身のいのちを捨てられました。主の力と祝福はあなたの上に置かれています。信仰をもって隣人を愛し祝福するあなたでありますように。ヒデ

それみろ
イエスだって自分が死ぬと分かった途端
天に向かってをうらみつらみを言ってるじゃないか
という人がいる

イエスと言えど人の子だ
この時になって命が惜しくなったのだ

なにさ
皆好き勝手言ってくれちゃって

と思います

そんなんじゃないよ
と言いたいけれどなかなか納得してもらえるようには
説明できない

単立のペンテコステの教会の牧師先生がこの箇所を取り上げて
説き明かしをして下さいました
なるほど そうなんだ
と納得した記憶だけがあります


事実この箇所をとりあげて聖書の信憑性を疑ったり
指摘する人もいるそうです


神はそのひとりごイエスを本当に一度捨てられたのだ
捨てられたからそこに我々の救いがあるのだ

そのように古い信徒の方が説明してくださったのですが
私はそれを上手にかみ砕いて言うことができません

クリスチャンどうしならいざ知らず
ノンクリスチャンには不可解かもしれないし
ましてアンチクリスチャンみたいな人には
私なんかが無用なことを言ってはいけない
と思わされてしまうのです

それよりも
自分の信仰の姿勢で示すことができれば
と思います


今日は牧師先生が礼拝の御用のため
大阪からお越し下さいました

信仰は患難や苦難を回避させるものではありません
試練の中で神の慰めを知ることです
神の慰めを経験すると
他の人を慰めを与えられる人になります
慰めという言葉には
自分の方に招くという意味があります
言い換えれば
かみさまを自分の味方につける
というようなことです

神ともにいます
一昨年の暮れに私にはこの御言葉が与えられました
いつからかこの御言葉が頭から離れなくなっていて
聞きなれたはずの御言葉がなぜ?
と思いましたが
もしかしてこんなふうにして
御言葉が与えられることもあるのかもしれない
と思いました






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