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2013年3月17日 (日)

デボーションメール20130317

■使徒11:19さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。

★今でこそ福音は全世界の人のため、と私たちは理解しています。あまりにも当たり前のこととして。しかしユダヤ人と言う枠の中で生きていた彼らにとって、それはどうひっくり返っても生まれてこない視点でした。私たちはみな自分では気づかない色眼鏡を掛けさせられたり、自ら好んで掛けたりしてるんですよね。それを唯一変えることのできるのが神の言葉。ああ何と感謝なことでしょうか。

■使徒12:11そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」

★この時ペテロは、人とは神様から託された使命を成し遂げるまで、そのいのちは支えられることを体験しました。確かにやがては朽ちる身体です。けれど生かされている間だ、御心を求め続けましょう。

■使徒13:36ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで父祖たちの仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。

★それぞれ仕える時代は異なります。しかしこの、同じ主を見上げ愛し従うことが祝福の秘訣です。時代とはある面、その時代の人を反映するものです。横を見てはなりません。丁度嵐を見て溺れそうになったペテロのように、飲み込まれて沈んでしまいます。主を見上げましょう。ヒデ




主を仰いで生きていきなさい
生かされている間その命は支えられる

なぜ自殺してはいけないのか
という相談が新聞にありました
相談者はいじめを受けたことがあり
自分をいじめた人間をゆるせないようでした
辛いだろう…なんてひどい…
とイジメに対し憤りを感じながらも
死にたいという言葉の中にある種の身勝手さを感じました

私は自分がその立場になったことがないので
それまでと言われればそれだけのことです
ただ私も相談者の立場に立たされたら
自分が死ぬことによって相手に後悔させてやりたい
という復讐心のようなものがおきないとはいいきれません
でも相手が
勝手に死にやがってうっとうしいやつだ
と思わないとも限りません
そうなったらそれこそ死に損だ
などと頭の中でめまぐるしく考えました
このあたりにも私の浅はかさが見え隠れしています
やはり強くなって生き抜きたいと思ってくれないかなあ


解答者はその身勝手さを指摘していました

“もし自分が死ぬことによって誰かを助けられるのなら(犠牲死)
私はあるいは死ぬかもしれない
でもあなたの死にたいはそうではない
自分をいじめた人へ思いを世間に知らしめるために
死を選ぼうとしている”
といった内容のものでした
解答者は言葉やさしく厳しく指摘しながらも
今後の人生を生きていくための言葉も忘れませんでした

解答者がクリスチャンかどうかはわかりませんが
なぜ死んではいけないか
こういうアドバイスもあるのだと思ったことでした

私はキリスト者ですから
神様からお預かりしている命
いつか朽ち果て神様にお返しするときが来るまで
神様は支えて下さる
人間は自分で自分の(と思っている)命をどうこうできるほど偉くない
まして他人の命を殺めることなどゆるされるはずがない

今の私は死ぬことなど考えずに生かされていますが
辛くなったらくじける弱い弱いものです
どんなことがあっても神様が支えて下さる
それを信じて



本日の礼拝
先週に引き続き神様は
足立先生を御言葉の取り次ぎ者として遣わして下さいました

聖書の箇所はへブル人への手紙10章1~10節
他にヘブル人への手紙から多くの箇所を引用されました

父なる神には信頼
周りの人には善意と思いやり
御自身は謙遜 

謙遜とは絨毯のよう
絨毯を敷くと
足には柔らかく温かい
また足の汚れを吸い取ってくれる
キリストはそういうお方である

キリスト者の生活は
寛く
長く
高く
低く

キリストは我が内にあり
自我を十字架につけて棄て去り
イエス様を心にお迎えして
聖霊を宿らせるものとなりなさい
10:19-25
信仰の確信
望みの持続
愛と善行を励む

神を父
教会を母として
善き信者が育てられる
善き信者が集まる器が備えられれば
神様はそこへ人を送って下さる
外へ出て伝道することと同様
器を整えることは伝道のひとつです


神様は今日できる再臨を日延べなさりながら
一人でも多く救いに導かれるのを待っていらっしゃる
なんて有難いことでしょう



毎週が特別伝道集会のようです
今日は通常彦根の教会で礼拝の御恵みに与っていらっしゃる
というご一家がみえました
奥様 娘さんとお孫さんと四人
礼拝開始時刻が10時20分だと思っていたこと
(実際は10時15分から)
道に迷い交番で教えてもらってきたのだが
遅れて入りましてお騒がせ致しました
とのことでした
なぜ彦根の教会の方が?
孫が違う教会へ行ってみたいと申しまして…
と苦笑しながらおっしゃって皆の笑いを誘いました
転勤族だそうで
全国あちこちの教会で御縁がおありのようです
牛に引かれて善光寺参りと言う言葉がありましたが
孫に引かれて…でしょうか(笑)
神様のお導きに感謝いたします

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