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2013年3月 7日 (木)

デボーションメール20130307

■ルカ21:33この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

★主がこの地上に人となって来られ、十字架の上でいのちを捨てられた目的は、私たちを永遠の世界に導きたいゆえです。しかし、そのことに目が開かれていない人は、ややもすればこの目に見える世界が永遠に続くかのごとくに錯覚し、そこに都を築こうとします。主が時にこの天地を震われるのは、愛する者がそれに気づくようにとの愛ゆえです。

 

■ルカ22:39それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。22:40いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。

★主はこの「いつものように」、「いつもの」とよべる場所があったゆえに、十字架の上で敵をゆるし、迫害する者のために祈り、御心を成し遂げる勝利を得ることができました。十字架の勝利は主と言えども、偶然ではなく、隠れたこのオリーブ山の祈りのゆえでした。あなたにはこの「いつものように」、「いつもの」と呼べる場所がありますか。ヒデ

我々が
この地上をすべてのように錯覚するのは
それまでの記憶がないからではないだろうか

死ぬことによって肉体が滅びて魂が天国(極楽浄土?)へいくのだと
漠然とでも思っている人は多いはず
なのに人は死を恐れます

私が死を恐れるとすれば
死そのものよりも
死に至る行程に不安を感じるからだと
子供の時に思った記憶があります

海で溺死した
苦しそう
轢死した
怖くて痛そう…

自分の死因は何だろう
と思いました
よく苦しまずにすっと死ねたら
なんていうけれど
死そのものより
死に至る道をまず恐れはしないか?

それを思うとき

イエス様の十字架上の苦しみが想像を絶するものであったこと
私自身が背負うべき苦しみをイエス様が負うて下さったこと
磔刑のむごたらしさばかりが強調されるのでなく
本来この自分が十字架上にいたはずであったことを
私はしっかり認識すべきです

私にいつもの場所があるのだろうか
何かをしてる時にふとその場でお祈りをする
祈らないよりはまし
みたいなのではなく
決めた時間に決めた場所で祈ることは
神様にきちんと向き合おうとする第一歩だと思います

不信心で信仰の薄い私が
一生懸命に祈祷会に出かけるのは
少しでも神様から離れないようにしたいから

日々の生活の中でだいたい祈る時間は決まっているかなあ
と思います
それは自分で意識して決めたのではなく
その時間になると自然にいのりに向かうのです
このことがいいのか悪いのかわからないけれど
今はそんな生活です

神様が見捨てずにいて下さることが
とてもうれしい


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