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2013年3月14日 (木)

デボーションメール20130314

■使徒4:12この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」4:13彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。

★人を大胆に、強くすることのできるのはイエス・キリストです。あなたはキリストと共にいますか。

■使徒5:40使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。5:41そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。

★何を喜ぶかによってその人の価値観やいのちの質が明らかにされます。彼らはお金や、地位や様々なものを得ること以上に、キリストの名のゆえに辱められることを喜んだのです。キリストを愛していたからです。あなたは何を一番愛していますか。あなたの神は何でしょう。

■使徒6:1そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。

★教会とはキリストによって罪赦された、罪人の集まりです。もちろん主を愛し、地上で唯一、御心を行うことを願う人々の集いでもありますが、だからこそ自分を知り、愛を学ぶ必要があるのです。あなたが横を見るなら、どうでしょう、その証拠に、自分の意志と感情では決して共にいることを願わないタイプの人もいるのではないですか。主が為されたのです。愛とは何かを学んでゆきましょう。主はそこにご自身を示されます。ヒデ

イエス様の弟子たちは
身分の高い律法学者たちではなかった
本末転倒になっていた律法学者たちではなかった
漁師や取税人といった当時どちらかと言えば
身分的に高いひとではなかった

律法学者はかわいそうである
律法を守ることに必死になり
それさえ守っていればいいと思うようになった
その結果
律法を守るふりをしていたのかもしれない
また他に対し律法を守っているところを見せないと
落ち着かなくなった

今の私に
律法学者的な部分が全くないといえるだろうか
教会へ行って
礼拝を守るだけで安心してはいないか

礼拝はまず守るものであり
同時にそれさえ守ればいいというものでもない


母を教会へ誘ってみました
固いこと考えなくていいから
お母さんの信じている神様はきっとイエス様だと思うから
牧師先生の話聞くだけでも気持ちがよくなるよ

母は
教会は敷居が高くてね
みんないいひとばかりだから

と静かに微笑んで言いました

教会は罪人の集まりなのに…

ところで敷居が高いという言葉は
時として少々ちがった意味で使われているのではないでしょうか

敷居が高いというのは
自分に負い目があって訪問しにくい
というのが正しい意味なのだそうです

母は教会に負債があるわけではなく
単に行きづらいと言っただけだと思います

だけど
待てよと思いました
私は教会
いえ
神様に対して
負債がないと言えるか?
御恵みをいただいているのに感謝することを忘れ
生かしていただいているのではなく
自分の力で生きているように錯覚し傲慢になってはいないか

こんなに神様に対して不義理なことをしていれば
教会は十分敷居の高いところではないか

その敷居を乗り越えて
ただ主の愛の恩恵に浴したいから私は
教会に通い礼拝を守っていると思う

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