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2013年4月20日 (土)

デボーションメール20130420_マタイ14@13-36 創世記46-47

■マタイ14:30ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と言った。

★要注意です。イエス様から目を離すことは。あっという間に人は状況という嵐に支配され、信仰を失ってしまうのです。人間が本質的に抱えるこの弱さを理解し、どこまでも神様により頼もうとする人は幸いです。それにしても主は溺れることをもって危機をあなたに気づかせ引き上げて下さるお方。どこまでも決して主はあなたを捨てません。

■創世記46:3すると仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。

★エジプトに下ることを恐れるとは、現代風に言えばこの世と深く関わることに畏れを抱くと言うことです。これは大切な霊的なセンスです。俺はそんなことに畏れを感じない、そんなに俺は弱くないと思う人があれば、その方こそ、神様のを恵みをこの世とのかかわりの中で、全て失ってしまうのではないかと心配になります。あなたの不安を察知する機能は正常に働いていますか。

■創世記47:23ヨセフは民に言った。「私は、今、あなたがたとあなたがたの土地を買い取って、パロのものとしたのだから。さあ、ここにあなたがたへの種がある。これを地に蒔かなければならない。

★あわれみを持って人に接することがいかに尊いことかが鮮やかに描かれている箇所です。ヨセフの知恵と心、確かに人々はそこにヨセフと共におられる神様を見たのです。ヒデ

どんな些細なことも何気ないこともすべてそこには神様の御心が働いている

と思うとき

神様の思いをおしはかろうと思う

このことが自分に何をもたらすのか

災いか恵みなのか

神様のみ恵みは偶然を装ってもたらされる

偶然こそが恵みであることのしるし


私は電車に乗り座って本を読んでいました
藤井圭子先生著“神の現実Ⅱ”
いっしょうけんめい読んでいた私は
ふと前に杖を突いた女性が立っているのに気付きました
さっと席をたてばよかったのに
私は若い人たちがいっぱいすわっているのに
彼らが譲った方がよいと一瞬頭をかすめましたが
今の場合は私も若いひとと同じ立場だからと思い
このページの終わりまで読んでしまってから
とあと数行に目を落としました


すると隣の若い青年が立って席を譲りました
彼も迷っていたのだと思います

そのとたん私は神様が下さった御恵みをうけとらなかったことを知りました
なぜすぐに立って席を譲らなかったのだろう?
私は自分を深く恥じました
本当に恥ずかしくて顔をあげられませんでした
神様の前に顔を上げることができなかったのです
わずか数秒の間に頭の中でつまらないことを考えているのなら
行動に移せばよかったのに

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